俳句時評 第25回 山田耕司

「円錐」をめぐる弁護的小文、もしくは「新しさ」をめぐる我田引水的考察。

今回は対象が自分の所属する同人誌のことなのです。いいわけがましく読めるところがあると思いますが、その読みはあまり間違っていないと思います。
恐縮です。

先日行われた俳句同人誌「円錐」の創刊20周年企画でのシンポジウム。

藤田哲史氏は、週刊俳句にてこのような見方を示している。

新しさの種は現代にしか見出せない。しかしそれを洗練させていく過程のなかには、過去の作品との相対化があるだろう。現代にあって一つのスタイルとして残存 しているにすぎない前衛らしさも、再検証することによって、なんとなく受け継いでいるだけの部分を切り離していくことができる。再検証は、単なる過去作品の称揚ではない。部分的な肯定と部分的な否定をあわせもつ。なぜ、私は多行形式を受け継がなかったのか。なぜ、私は切れ字を手放さなかったのか。

俳句の流跡は、そこにたしかにありつづけている。けれど、それが私たちにおのずから寄りそってきてくれることはない。生きた人のかたちをとって現前しないものに関しては特に。

週刊俳句(2011-10-16)第233号 「流跡を辿る行為
 「円錐」創刊二〇周年記念シンポジウムおよび、二〇一一年夏号・秋号から」

なるほど。

当日は、パネリストである恩田侑布子・高山れおな・岸本尚毅三氏に司会の山田耕司氏が「戦後派」という呼称の共通理解の確認をするところからはじまり、レジュメで配布された「戦後派俳人」についての作品評に移ってい き、結局メディアや同時代の俳句に対する言及はとくに行われなかった。

当初、「俳句とメディア」というタイトルでご案内していたシンポジウム。蓋を開けてみれば、「戦後派俳人の作品を、どう読むのか」という内容が中心だったので、戸惑われたことだろう。

じつのところ、「俳句とメディア」というタイトルで、現代の俳句の出版や放送の状況を検証するのは、そもそも、20周年を迎える「円錐」という同人誌のガラに合うものではないのであった。

なんせ、平常号の連載が、渡邊白泉の人と作品を追いかける評論・今泉康弘の「エリカにめざむ」、栗林浩の「入門・攝津幸彦と田中裕明」、対談があれば澤好摩と山田耕司の「昭和俳句史」で、近刊では取り上げているのが三橋鷹女。もう、ぜんぜん現代の状況をふまえない誌面づくりの集団なのである。余談ながら、今泉康弘は携帯電話をいまだに持っていない。いうまでもなくメールでのやりとりなどできようはずもない。誌面の版は、澤好摩が「ワープロ」(東芝の「ルポ」)にて印字。それを手で貼って版面を作成している。営みそのものが、レトロといえばレトロ。

では、「俳句とメディア」に円錐が期待したものは何か。それは、俳句作品が伝わっていく「媒体」としての「メディア」を想定していたのである。先行する俳句作品は、俳句作者が自らの作品と向かい合う時にこそ、ふりかえられるという藤田氏の認識は、まさしく、俳人こそが俳句のメディアであるということを如実にあらわしているとはいえまいか。山田とすれば、藤田氏の文章をもって、私どもの企画のねらうところの一面が補完されたことを喜ばざるを得ない。

しかしながら、戦後派の作品を扱うことがすなわち新しさを扱わないことになってしまうというのは、同意しかねるところ少なからず。円錐は、なにも俳句名吟の「殿堂入り」させるつもりで、戦後派俳句を挙げたわけではない。これは、会場で澤好摩が解説したのだが、たまたま旧「俳句研究」での戦後派俳人特集で並んだ句の中から澤好摩が読解の素材として抽出した一群に過ぎない。いってみれば、あらかじめ「殿堂入り」しちゃってるような作品たちなのである。評価がかたまっているような作品を、あえて素材にしたのは、「読むことの現在」について浮かび上がらせたかったのである。それは、とりもなおさず、俳句作品がどのように伝えられていくのか、つまりどのように読まれていくのかを、シンポジウムの席上でライブ展開したかったのであり、その評価の「かたまらなさ」を呼び入れたいという意図もあった。ゲスト各位は、山田が敬愛する読み手たちであって、また、安易に同意しあわない方々でもある。であるからこそ、読むことの面白さが立上がると信じてやまないメンバーである。山田とすれば、各位にはまことにすばらしい各位ぶりを発揮していただいたと感謝申し上げるとともに、会場から、それらを覆すような意見がさらに寄せられて句の評価の「かたまらなさ」ぶりに拍車がかかったことに感動すら覚えた。会場の方に、そのハラハラ具合が伝わらなかったとすれば、ひとえに山田の進行の至らなさである。この場を借りて、お詫び申し上げる。

今回のシンポジウムであらためて学んだこと。

一、面白い句は、どうであれ記憶されている。
一、面白い句について語り始めると、座が荒れる。
一、座が荒れない句は、記憶されずに記録の中に沈んでいく。
一、句にひかれるから作者が気になる。つまり、まずは作品ありき。そういう句が、残る。
一、読者が作品誕生の時代背景にこだわりすぎると、句に置いてけぼりにされる。

とりあえず、まとめ。

戦争という素材は現代に通じないから古い、という考え方は、「新しい」のであろうか。

仮に、過去の句が現代を生きている人の句に影響を与えるものとしての存在でしかないならば、私たちが詠んでいる句とは、未来への肥やしにしか過ぎないということになる。いずれ肥やしになりますが、いまは出たてほやほやですから新しいですよね、という考え方は、「新しい」のであろうか。

まあ、「新しさ」なんてどう定義してもいちゃもんがつくところではある。

そこが面白いと思えるかどうかで、対応が分かれるところだろうけれど、おおむね新しさとは、まさしくその価値のふらふらの中からこそ立ちあらわれてくるのではないか。作品の言葉や議論の言葉が、ふらふらしているのではない。俳句をめぐる読み方や作家に対しての評価が「がっちり固まっていること」やら、時代やら俳句プロパーとそうでない人、俳句の中と外などというものが「明確に区分されること」やら、俳句史を一元的にまとめていこうとすることなどが、「新しさ」というものにつながるとは思えないでいるのである。

俳句とは俳句作品としての表現そのもののことであり、作品は読み手によって多様な顔を見せうる(すべての作品がそうあるわけではないが)。その多様な読みが多様なままに流通するメディアとは、どういう姿勢になるのであろうか。雑誌でかまわない。新聞でもよい。ネットももちろんふくまれる。要は、スペックの問題ではなく、いかに「読むという行為」の面白さを多様なかたちで形成するかという姿勢をもって、俳句をめぐるメディアを見直すことができるのではないだろうか。一見ふらふらしているような状況を突き抜けてくる句がある。その句をめぐっての評価を作者側の都合でちんまりとまとめるのではつまらない。むしろ、作者の意図など一顧だにしない読者が作品に対するみずからの読みを遊ぶことで、作品は、古典として常に新しさを内包することになるのではないかと思うのである。

明治は、開国と政治改革を一挙にやってのけようとした時代。

開国することにおいて、自国の文化はいやおうもなく相対化され、それはすなわち自国の文化というものを限定し保護する行為へと連なってゆく。一方、政治改革のもとに先行する形態を相対化し、つまり封建時代と一線を画していることをはっきりさせるために、文化は「いままでになかった方向」に相対化されてゆく。

共時的なひろがりを意識すればときに保守化し、通時的な限定を意識すればときに過激化する、そんな側面が文化にある、と、まあ、こう仮定してしてみよう。明治についてではない。文化の相対化についての仮定である。

「新しさ」が気になるというのは、ひらかれている状態ではなく、状況が閉じているからこそのセンサーなのかもしれず。世代や素材の変化を相対化していくのは、「そこしかない」ということを前提とした行為、もしくは、「改革」と「通時的な一貫性を放棄すること」との区別がつかない行為ということが、仮定から推察される。

俳句以外のジャンルからの注目が高まることで、「俳句とはこういうもんだ」と保守化するならいざしらず、「ほら、こうして注目されてるんだから、いままでの古い感覚なんか捨てちゃいなよ」という方向に共感が進むのであれば、それはひらかれた状況から最も遠い現象にも思えてくる。ウチワの世代間闘争に「ハク」のようなものをつけるのに、ヨソの声というのを拾ってきたように見えなくもない。

かなり極端な推論であるが、俳句を開かれたものにしていく(書きながら、なんのこっちゃよくわからんが)のであれば、まずは、新しさではなく過去の作品からの一貫性のほうにこそ目が向くような気がするのだが、どうなのだろうか。

むしろ俳句は開きっぱなしのような有様で、つまりだれでも作者になれるうえに、マニュアルやらテンプレやらがあふれているわけである。そのなかで、商品化とそれに伴う情報のカタヨラセかたがあるのが、現代的といえば現代的であり、その中心には、親しみやすい保守化が座を占めるのは必然と言えば必然だろう。そのことが、たとえ「俳句の内部だけの現象」だとして、何の不都合があるのだろうか。こうした市場のありかたは市場のありかたとして見とどけ見守ることができれば、それでいい。個人としては、作品表現において個人の方法を模索していくこととなるのであろう。個人が市場原理において評価されることを求めるならば、商品としての句を書くか、自分自身が商品化(情報化)されることになるのだろう。それを貫くことができれば、それもよいのだ。ただ、そのことで、商品の目新しさは作れても、俳句に新しさをもたらせるとは限らない。

「円錐」のような同人誌は、市場から遠いところで活動しているわけだが、「新しさ」を放棄しているわけではない。表現にとって「新しさ」というものが作品として生まれた現場に注視し続けるとともに、さらに読者としてたとえ過去の句の中からでも「新しさ」を見いだすだけの視座を求めているのである。

こう書くと、カッコいい。しかし、市場からの距離をとる分、「付き合いの悪いヤツ」もしくは「ふだんから何を考えてるかよくわからんヤツ」という評価を受ける可能性も高い。問題は、こころざす質にあるのではなく、付き合いの悪さからコミュニケーションが薄れ、情報を読者につたえるチャンスが少なくなることである。自らの内面化することこそが俳句形式を受けつぐためのメディアである、という考え方も、みようによっては、ひとりよがり。こういうのも「俳句の現在」。「今回のシンポジウムであらためて学んだこと」に、この一行を追加。

恐縮です。

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