猫は世界中でけんかしている 沼谷 香澄
やけどしてわたしの最も外にある組織が少し形を変えた
大型のネコ科猛獣が世界の大陸と島で数を減らす。小型のイエネコ(学名フェリス・シルヴェスト
リス・カトゥス)がホモ・サピエンスの家の外と中で数を増やす。帆船に乗ってフロンティアを目
指す。貨物船に乗ってネズミを狩る。広い前庭を持つ亜大陸の都市郊外の住宅から散歩に出て、地
元の固有種の小鳥を絶滅に追いやる。
増えていくたんぱく質のかたまりを生き物と名付けたのは誰だ
恐竜が滅んだ後に残ったのは本当に小さかった哺乳類の祖先と軽い軽い軽い鳥の祖先。ミアキス、
プロアイルルス、カトゥス。征服は正義だ。捕食は快楽だ。繁殖は使命だ。容姿は武器だ。ウチの
裏を昼寝場所にしているフィーラインは一週間の不在から帰ってきたと思ったらプレスティオド
ン・ヤポニクスの幼体を誇らしげに目の前で噛み切って見せる。ホモサピの目を見て鳴く。いや、
ものを言う。ネコは正しい。傷つくのはおかしい。一瞬の閃きを見せて消えたメタリックブルーに
名前を付けるなら、猫の餌以外にはありえない。
生命の粉末 無生物の意思 ソメイヨシノの昼 牡丹雪
猫は意外とうろたえる。一心に考え事をしているところを空気読まない仔猫に邪魔されて、かんし
ゃくを起こして喧嘩を売ったりしているところへヒトが話しかけたりすると、「ちがっ」と声を漏
らして視線を泳がせる。そして集中を途切れさせなかった敵役に首筋を抑えられてゲームオーバ
ー。「もうっ」と声を漏らして別室へ去っていく。
限りない機能停止の通過する時間のことが死と呼ばれなん
ビッグバンの向こうには、別の宇宙があるという。すべてのはじまりというのは、ある主体が任意
に定めた一点にすぎず、さらにちがう次元からみれば始まりの前にもなにかが存在してしかるべ
き、ということだ。かくして連載終了した人気漫画には前日譚が描かれ、長編映画を5回つないで
主役の病死したシリーズは、違うユニバースの出来事として描きなおされる。そのすべてを経験で
きたなら。
植物の栄養体を粉にしていろいろあって皿に牡丹餅
パイ皮のようにマルチバースが層をなしている様子は想像しにくい。わたしに感受できる一個の世
界のなかでさえ、宇宙の始まりと終わりを感じながら考える生き物の命というものは、餅にまぶす
片栗粉のようにたださらさらと零れ落ちていくもののようである。
植物が植物をそだてはぐくむ森の奥アルビノのセコイア
病死とは、生き物と生き物の戦争の結果だ。快癒とて然り。悲しんでいる暇があったら自分の戦争
を戦え。爪を出さないパンチで叩かれたくらいでやさぐれていては、我が家の生存競争を勝ち抜く
ことはできないぞ、仔猫よ。
タグ: 沼谷香澄, 詩歌トライアスロン