自由詩1月   萩原健次郎

131萩原

自由詩1月   萩原健次郎

俳句の本質に根差す。
俳句と俳諧とは、本質はずれるが、根は同じと考える。
俳諧(芭蕉の歌仙)とは、自他の境をはずす、座の文芸。
座とは、景のこと。
景色、そこにも喩が現れる。
景が、主体にもなる。
主体=人間の喩にとらわれることなく、それを暫時、消す。

(つまり、表現ではない「一行の景色」を現す。)

松の影松の向こうに影の松

峯の木々消える真昼の雨もよい

(この試みを通過して、)

わたしの立体が在るすべて

音がする破れた耳の穴の穴

(まとめて、)

松の影松の向こうに影の松
  わたしの立体が在るすべて

峯の木々消える真昼の雨もよい
  音がする破れた耳の穴の穴

(再度、この試みを通過して、)

松の影わたしの立体のあるすべて

雨もよい破れた耳の穴の穴

(そして、)

――――  雪空で

まつかげ まつかげの うち

みねの み ゆき かくれ

みみの あな の あな

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