自由詩1月 萩原健次郎
俳句の本質に根差す。
俳句と俳諧とは、本質はずれるが、根は同じと考える。
俳諧(芭蕉の歌仙)とは、自他の境をはずす、座の文芸。
座とは、景のこと。
景色、そこにも喩が現れる。
景が、主体にもなる。
主体=人間の喩にとらわれることなく、それを暫時、消す。
(つまり、表現ではない「一行の景色」を現す。)
松の影松の向こうに影の松
峯の木々消える真昼の雨もよい
(この試みを通過して、)
わたしの立体が在るすべて
音がする破れた耳の穴の穴
(まとめて、)
松の影松の向こうに影の松
わたしの立体が在るすべて
峯の木々消える真昼の雨もよい
音がする破れた耳の穴の穴
(再度、この試みを通過して、)
松の影わたしの立体のあるすべて
雨もよい破れた耳の穴の穴
(そして、)
―――― 雪空で
まつかげ まつかげの うち
みねの み ゆき かくれ
みみの あな の あな