たましひのあまたのひとつ時雨鯉
昭和53年作。第5句集『雁道』(*1)所収。
季語は「時雨」で、冬の初めに降る通り雨のこと。和歌の世界では「降りみ降らずみ定めなき」などと小雨が断続的に降るようすと人生の定めなさを重ね合わせて詠まれることが多かった。
『角川俳句大歳時記 冬』の「時雨」の項には、17におよぶ傍題がならぶ。それらのうち、「朝時雨」「夕時雨」「小夜時雨」「村時雨」「片時雨」「横時雨」は、時雨の降る時間帯や場所、降り方などを形容したもの。このように「時雨」という語は、冬のみならず四季にわたって「名詞+時雨」あるいは「時雨+名詞」の語構成で派生季語を生成してきた。
たとえば、「春時雨」「青時雨」「秋時雨」は、「春」「夏」「秋」という時雨が降る季節に着目した季語である。また、「露時雨」「霧時雨」「木の実時雨」は、「露」「霧」「木の実」を時雨の降り方になぞらえて言ったもの。さらには「蝉時雨」「虫時雨」のように「動物名+時雨」の語構成の季語もある。これらは「蝉」「虫」の鳴き声を雨の降りしきるさまに喩えたものといえるだろう。
では、掲出句の〈時雨鯉〉はどうであろうか。「時雨」はもともと山に囲まれた盆地や山に近い地域で見られるものである。「時雨+動物名」の語構成を持つことから、この「鯉」は山に囲まれた場所で時雨に打たれていることを表している。
よって、句意は明瞭。
この世に生きとし生ける数多(あまた)の<たましひ>のひとつとして、山に囲まれた場所で鯉が時雨に打たれている。
散文に読みほどいてしまうと少々、味気ない。
表現について見てゆくと、<たましひ>の「た」と「ひ」の音が、<あまた>の「た」、<ひとつ>の「ひ」と響き合い、ある種のリズムが生まれている。上五中七がすべてひらがな表記であることによって、下五の<時雨鯉>に収れんしてゆくようなスピード感を生み出しているのだ。主題を明確に示し、重みを持たせる意味で効果的な表記法といえる。
「魚」の項でも指摘したが、句集『雁道』には「鯉」の句が四季にわたって存在している。そして、「鯉」を写実しながら玄は鯉に感応して、自身の姿を重ね合わせる作り方をしている。ここでの〈時雨鯉〉も作者の投影であることはまず間違いない。
全集の年譜を見ると、この句が作られた昭和53年に玄は直腸癌を発症し、4月と7月の二度にわたって手術を行っている。そして11月に病気を理由に道央信用組合の専務理事の職を辞し、妻の実家のある北海道旭川市に転居しているのだ。旭川市は上川盆地に位置する都市で、神楽岳、神居山、旭山、鬼斗牛山といった山に囲まれた土地柄である。また、石狩川、忠別川、美瑛川、牛朱別川など大小130の河川が流れ、鯉その他の淡水魚が多数生息している。
よって、〈時雨鯉〉というのは、山に囲まれた旭川市の川に棲む鯉が時雨に打たれている姿であり、そこに移住することになった齋藤玄の投影といえるだろう。
妻の生家があるとはいえ、はじめて暮らす街であり、職を辞し、病に侵された齋藤玄の〈たましひ〉は、孤独であったに違いない。その孤独を〈たましひのあまたのひとつ〉とありふれたものとして突き放しながら、ある種の「軽み」を醸し出していることに注意しておきたい。
*1 第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載