戦後俳句を読む(26 – 2)齋藤玄の句【テーマ:日】/飯田冬眞

明日死ぬ妻が明日の炎天嘆くなり

昭和41年作。第3句集『玄』(*1)所収。

不治の病に侵されている妻あるいは夫から「明日死ぬ」と告げられたとしたら、人はどのような行動をとるだろう。

1、「馬鹿」と言って抱きしめる。
2、所用ができたと、席を外してから、泣く。
3、聞こえなかったふりをして、無関係なことを話し始める。
4、相手の興奮が納まるまで、黙って団扇を振り続ける。
5、看護婦を呼びつけ、酒を飲みに行く。

たぶん、齋藤玄は「4」を選んだのだろう。死と病の不安から〈明日死ぬ〉と取り乱す妻のそばにいなければ、「明日も暑いのかしら」と炎天を嘆くことばを聞けないからだ。

この句は齋藤玄の最初の妻節子が、昭和40年秋に癌を発病し、翌年夏の葬送までの顛末を克明に描いた連作「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」193句中の1句。

自註に玄はこう記す。(*2)

今日も暑かった。明日も暑いだろう。明日をも知れぬ妻の明日のための嘆きは哀れの極みであった。

さらりと書き流しているが、〈明日死ぬ〉と口にしたのはおそらく妻なのだ。それは病苦にあらがう妻の肉声であったはずだ。そして、投薬の後、激痛が鎮まると、〈明日の炎天〉を嘆いてみせる妻に玄は人の生というものに「あはれ」を感じとったのではないか。それは、妻という対象を凝視することでつかみ得た実感なのである。対象(他者)に共振して自己にひきつけるからこそ、「あはれ」は生まれるのであり、自己に内省するならば、「かなし」に包囲されてしまうのだ。だから「かなし」には無力感がつきまとう。

癌の妻を詠む「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」の193句には「あはれ」が満ち満ちている。だが、ただの一句も「かなし」と感じるものはない。

だからこそ、「冷静というより冷酷である」「人間愛<夫婦愛という意味か>に欠けているためか、読後のあと味の悪いものが残る」などの酷評を盟友であるはずの石川桂郎が知人間の評として、句集の序にあえて記したのだろう。

だが、発表より44年を経た目でみれば、自己の無力感をさらけだして、他者に甘えることができなかった玄の矜持は、うらやましくもある。なぜなら、昨今の俳句には、あまりにも「かなし」を連呼する俳句が跋扈しているように映るからだ。


*1  第3句集『玄』 昭和46年10月発行 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

*2  自註現代俳句シリーズ・第二期16『斎藤玄集』 昭和53年 俳人協会刊

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