戦後俳句を読む (21- 2) – 「老」を読む -齋藤玄の句/飯田冬眞

冬の日と余生の息とさしちがふ

昭和52年作。第5句集『雁道』(*1)所収。

個人差はあるのだろうが、男性にとって「老い」を実感するのは、容姿というよりも肉体の機能の衰えによるものが大きいのかもしれない。たとえば、それまで難なく上っていた駅の階段が途中で息を継がなければ上れなくなったり、それまで軽々と持ち上げていた鞄が急に重く感じたりすることが、男に「老い」を自覚させる契機になるようだ。そうした機能面の衰えを自覚した後に鏡などで筋肉の落ちた自身の肉体を視覚的に突きつけられたとき、ようやく「老い」は内面にまで浸透してゆく。

流氷を待ち風邪人となりゆけり  昭和47年作
老体を氷湖の道がつきぬける   昭和47年作
しんしんと肉の老いゆく稲光   昭和47年作

この年、齋藤玄は58歳。一、二句目は、石川桂郎とともに厳寒の網走を旅した折のもの。氷点下の白銀世界の中で〈風邪人〉となりながら流氷を待った男たちは、ようやく自身の肉体に「老い」が近づいていることを悟ったに違いない。だが、氷の上を走り来る風の冷たさを受け止めている〈老体〉はまだ感覚的なもので、視覚化されてはいない。

三句目は同年の秋の句。処女作以降六千句の句業を千六百句余りにまとめた第三句集『玄』を刊行した後の作。稲光の閃光に映し出された自身の肉体を目の当たりにしたとき、静かに進行している肉体の衰えを自覚したようだ。

枯るる森重ね重なりものわすれ   昭和48年作

若いうちから物忘れの多い人はいるだろうが、玄の場合は若年期より和洋の詩文を諳んじていたというから記憶力にかけてはかなり自信があったようだ。さりげない句ではあるのだが、〈枯るる森〉と〈ものわすれ〉の取り合わせに、そこはかとない「老い」の自覚を嗅ぎ取ることができる。

八ツ手散るままに晩年なしくづし   昭和49年作
残る生(よ)へ一枝走らせ枯芙蓉   昭和49年作

「老い」の意識が内面に浸透し尽すと次には「晩年」意識が首をもたげてくるようだ。八ツ手の花の散りざまから自身の晩年が〈なしくづし〉に進攻している哀しみが表れている。この年、胆のう炎を患い初めて入院生活を経験し、「晩年」および「残生」の意識が心中に深く刻み込まれてゆく。この年、60歳。

残る生(よ)のおほよそ見ゆる鰯雲    昭和50年作
晩年の不意に親しや秋の暮   昭和50年作
晩年へ来ては出でゆく秋の暮   昭和50年作

病床の石川桂郎を見舞う直前の作。「晩年」および「残生」の意識は、清澄な精神性とともにある種の「余裕」を玄にもたらしたことがわかる。それは自身の残生が〈おほよそ見ゆる〉ことができたためかもしれない。開き直りといっては悪いが、天の配剤なのだという自覚が芽生えてきたからこそ、老いの時間が〈不意に親し〉くなるのだろう。そうした〈晩年〉に対する余裕とは、自意識の放下によってもたらされたものかもしれない。それは〈鰯雲〉や〈秋の暮〉といった自身の力の及ばない時候や天文の季語に身を寄り添わせているところからも推察できる。

齢(よわい)抱くごとく熟柿をすすりけり   昭和50年作
晩年の過ぎゐる枯野ふりむくな   昭和50年作
いまのいま余生に加ふ焚火跡    昭和51年作

昭和50年11月に30年余の刎頚の友であった石川桂郎に、51年1月に相馬遷子の長逝に相次いで遭い、「晩年」意識は「軽み」の姿を帯びてゆく。〈齢抱くごと〉の比喩が〈熟柿をすする〉作者のありようを内面とともに的確に描いており、微笑を誘う。少しでも力の加減を誤れば、〈熟柿〉は見る影もなく崩れ、甘い臭気とともに無残な果肉を周辺に撒き散らす。「老い」とはまさにそのようなものなのだろう。

冬の日と余生の息とさしちがふ   昭和52年作

「晩年」意識は畏友たちとの長逝という訣別を経て、「余生」へと変化してゆく。掲句は前立腺手術の入院生活から解放されて、しばしの安息を味わっていた頃の句。冬のある日、自らが吐いた白い息が自分の顔を包んだのだろう。玄の住む北国でなくとも冬の日常風景としてはごく当たり前のことである。それを〈余生の息とさしちがふ〉としたところが、非凡である。〈さしちがふ〉の措辞に齋藤玄という俳人のもつ「あらがう生」をかいま見た思いがした。
「老い」の意識とは、精神から肉体の変化を経て、ふたたび精神へと戻ってゆくものであることが、玄の「老い」を詠んだ俳句の語彙の変遷をたどることで理解することができるだろう。「晩年」「残生」「余生」とは決して受身のことばではなく、〈さしちがふ〉ほどの覚悟が心の底に潜んでいることを忘れてはならない。


*1 第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

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