教科書をはなれ、自主的に詩をさがすようになって最初に好きになった詩人が多田智満子ではなかったかと、なんとなく思いだした。
夏の少年
1
たくさんの裸足 の駈けまわった大地の上に
ぼくたちよこたわる
だれとも抱きあわないで
どんな未来よりも完全な子供になって
2
ぼくたちぶらさがる
ひるさがりのぶらんこ
熟れかけたあけびの実のような
ぼくたちのかすかなあくび
3
そのむかし一つの噴水から出発して
広場の四方八方へ進んでいくぼくたち
まぶたを失った太陽が
くりかえしくりかえしみる 放射状の夢
4
足のうらで波を蹴りあげ
泥の岸を遠ざかる
腕を前へ前へとのばし
おそらくは紺青の古代の沖をめざして
……と、「6」まで続く(詩集『蓮喰いびと』収載。男声合唱曲になっているようだが未聴)。「放射状の夢」「紺青の古代の沖」の輝かしさはどうだ。なかでも「だれとも抱きあわないで」の一行にやられた。「ぼくたち」は同志でありながら、たがいに犯さず犯されず行動する精神生命体として在る。夢である。
もともと外国語コンプレックスが強いので、池澤夏樹や井辻朱美など翻訳を手がけている人の詩歌に惹かれやすく、多田氏も私にはまずもってユルスナールやシュウォッブを訳した人であった。詩人とは世界の事象を言葉に翻訳する人、と考えれば不自然なことではないだろう。
しかし、たまに多田智満子の話になると「なんか趣味的」「まあ素敵なおばさまだよね」「好きってどこが?」等々曇った反応が返ってくることもあり、生活感情に触れない仙人的なまなざしというのは詩として認められにくいのかという印象もある。
詩を読むうえでは、「何が書かれているか」だけでなく「何が書かれていないか」という視点もありうる。後者のルートから「彼女は何を書こうとしなかったか」を考えることが、多田作品を読むとき、ひとつのヒントとなるだろう。詩人は言葉の職人ではあるが、それでもこれだけは書かないと心に定めたことが、それぞれにあるはずだ。
彼女は意志をもって、苦しみ、呪いを書かなかった。私には、そう思われる。
十年前に朗読会で多田氏の物語詩「新月の夜の物語」を読んだ。古代の巫女が飛行機やテレビの存在を幻視し王に語る、といった内容である(詩集『川のほとりに』収載)。事前に使用許可を求める手紙をさしあげた。
癌で加療中と聞き及んでいたので回答はいただけないかと思ったが、同封した葉書で一筆くださった。青いインクで「余命いくばくもない身ですが、御成功をお祈りして居ります」と結ばれていた。二〇〇二年十月二十八日の消印である。
多田氏にとっての死とは、「完全な子供」になることであったかもしれない。