短歌時評 第48回 齋藤芳生 

「壜 #4」を読む

うろくづはまなこ見開きいつの日かわれらが立ちて歩むまでを 見よ 
高木佳子「見よ」

昨年4月に発刊された高木佳子の個人誌「壜 #2」より。この「壜」がいわき市から届けられた時、当時やはり福島市にいて、止まっていた水道がようやく復旧したかどうか、という頃だった私は、身体が芯から震えて来るような気がした。津波に襲われ、さらに福島原発の事故がどうなるのか、誰にもわからなかった(今もわからないが)あの混乱と恐怖の中で、高木の思いを託された「壜」は、行方不明になることも壊れてしまうこともなく、確かに私の手にも届いたのである。

「ライフラインが断たれている状況の中で、発刊を中止しようかと先日まで悩んでいました。」「しかし、震災から、歌もまた復興させなければ、歌を詠って立ち上がらなければ、という決意のもとに発刊することに致しました。」と高木が自らのブログでも語っているその一冊に、限りなく大きな勇気を得たのは私だけではなかったろう。掲出した一首は、製本後に挟み込まれた別紙に掲載された一連「見よ」の中の一首である。

高木が力強く「見よ」、と歌ったあの日から一年。今月、「壜 #4」が刊行された。

灰色の堅き椅子なりきいにしへの王妃座りしごときその椅子 「このままでいい」
スペクトル・データの未踏の山巓に雪はなくただ高く聳えて   
排出にバナナのよきとて朝なさな黄の耀けるバナナ食うぶよ

巻頭の連作「このままでいい」より。小学生の息子がいる高木にとって、この一年は誰にもまして原発事故によって飛び散った放射性物質の影響に神経を尖らせ、不安と戦う日々であったろう。放射性物質の届かない土地へ避難するか、しないかの葛藤もすさまじいものがあるだろう。本来誰であろうと、何であろうと、人間の生活というものは「避難すればいい」「引越せばいい」と簡単に割り切れるものではない。

いわき市をはじめとする福島県の各市町村には、不安を抱えながらも高木のように子育てに、会社勤めにと、日々を懸命に生きている母親たちが今、この瞬間も数多く存在する。高木の歌う一首一首は、そんな母親たちの思いを、見事に代弁している。

一首目の「灰色の堅き椅子」とは、高木が親子で内部被曝の検査を受けた時のものである。「いにしへの王妃座りしごとき」という直喩に、作者の憤りや不安、やりきれなさ、すべてが象徴されている。「椅子」とは本来、人間が身体を休めるためのものではなかったか。「王妃」が座るような立派な椅子であるならば、それに腰を下ろしたときの気分は晴れやかでなければならないのではないのか。高木をはじめとするいわき市民から集められた検査結果のデータは、「未踏の山巓」のように「高く聳え」る。しかし、その「山巓」に、私たちがすがすがしい気分で仰ぎ見るような、真っ白な雪の輝かしさはない。

母親たちは、少しでも我が子を内部被曝から守ろうと、様々な情報を集め、できることは全てしようと日々苦心している。多くの子どもたちの大好物であろう「黄に耀けるバナナ」の鮮やかさ。何と皮肉なことだろう。

論考「『当事者』と『非当事者』のゆくえ ふたたび震災と表現を考える」の中で、高木は次のように述べている。

当事者・非当事者という、従来の二元的な捉え方を脱けることは新しい短歌の地平を拓くことにつながらないだろうか。ことばはゆたかでなければならない。当事者だからいい、当事者ではないから詠えない、ということでは今までのままである。感じたままに、考えたままに、矮小なあらゆるレジームを打ち破って、誰もが、誰もが当事者として真摯に「今」という時の表現を試みるべきだと思っている。

そして、もっと言えば、あらゆる人が今、この震災に何らかのコミットを持ち、その個人の姿勢や意見を証明しなければならないような一律の雰囲気になっていること自体が、私には異様に思われる。

高木自身が自ら述べているように、高木が「壜」に託した歌たちは、どれも安易な現場からの報告には終わっていない。政治的なプロパガンダでもないし、むろん愚痴でもない。震災後、実に様々な立場から様々な歌が発表され、多くの議論が続いている中で、被災し、日々を悩みながらも決して歌人としての冷静な眼差しと確かな作歌技術を失わず、歌を、言葉を発し続ける高木の存在は貴重である。

執筆者紹介

  • 齋藤芳生(さいとう・よしき)

歌人。1977年福島県福島市生まれ。歌林の会会員。歌集『桃花水を待つ』角川書店

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