連載5回 誓願 横山 黒鍵

誓願 横山 黒鍵

語り部たちの
寒い窓は震える
虫と名指されたお前たちの
砂に飲まれていく鳴き声を
焔として指を温め
掠れた文字だけの紙片ばかりを
かき集めている
わたしの眠り

打ち寄せる波を掬う。そうして耳に近づける。なにか聞こえるようでいて、手のひらの中の小さな水面はたぶん静かなままだ。たくさんの波がきっとこの浜辺には打ち寄せていて、そのひとつひとつをはっきりと発話することはできないけれど、光がよじるように弾けていくのを、ずっとみていた。やがて崩れ落ちるように日が海に沈む。熱に水面が沸騰するようで、どこか想像もできないような遠くへと繋がる、血色の道が一瞬敷かれるのだ。髪をかき上げた指がかじかむ。そうして夜がくる。ただしく体重ぶんへこんだ砂の窪みに闇が満ちるまえに、逃げ出さなくてはならない

こちらでは
楔の形に白鳥が飛び
もう冬の風が吹き始めました
星の色はさむく深く
何年も変わらないはずなのに
今年もまた違うように
みえるのがとても不思議です
冬の空はいろいろなものを
こぼしていきます
そうしたものたちに
手を触れることもなく
毎日が過ぎていきます

悲しい時には悲しい顔をしたらいい。悲しい時には悲しい声で言葉にならない音を口から放つ。私たちはいつか必ずそこに赴いて、とすればそこへいく道程こそが大切なのだと、そう思う。消費されるために生まれた散文の、ひっそりと、ただそこに毀れていく装丁。本当に私たちは番うために生まれてきたのだろうか。獣としての生が息づく星々の隙間に、けして番うことのない私たちの呼気が白く灯る。それは遠い国を包むヴェールであり、また死体を包む毛布であった。娘を亡くした父がいつまでも娘の髪を梳いている。親を探す子らの彷徨う足音が響く街中で、北半球の星の瞬きはいつもと変わらなかった

約束
をしたのだった
綴じられた分厚い紙束に
記された宛名と宛名
献花するひとびとのゆびから
たえまなくすべりおちて
オリオンのしっぽを
しおりとして挟んだ
終章を迎える前に
あなたを燃やしてしまうだろう
ものがたりに
たしかに
手紙はとどけられた
あなたはそれを忘れてしまった

鼻の上に眼鏡が居心地悪そうに座っている。ちかくの事もみえなくなって、やつれていく頬。讃美歌のようなものが聞こえてくれば、波打つのは犬の背中で。はっはと湿った息が舌を滴り、文字を描く。峡谷には、角笛を持つ滑らかな髪の少年が歌う。彼は詩人になるしかなかった。犬は走り出す。雪を巻き上げて走る前足とその硬くて黒い爪の間にそうした言葉たちが凍っていて、やがて猟犬は罪なきものを見つけて歯を立てるだろう。その柔らかさに充分満足しながら、暖炉の前に飾られる団欒。子供たちの声の記憶に、やがて焚べられた沈黙が、すっかりと灰になった頃。窓をあければ星の光が時を止めたような氷柱。こんと突けば音高く鳴き、鋭い切っ先が雪にまろやかになる。そうして朝が咲くのだった。咲いた朝が笑う。昨日とは違うひかりで

捧げられる花に
小さな虫がついていた
捧げられたまま
虫は火の子となり
たたかいとなった
ひどい夢だった
ひどい夢を見たのだった
奪った自転車を漕ぐ
無邪気な暴力を
ビルの砕ける音が彩る
ハッピーバースデー
パパは元気だよ、愛している
蝋燭の代わりに
命を吹き消して
それでも愛は灯るのだった

手を繋いでとせがんだ。きみの背はまだ小さいから、少し身を傾げ手を差し出すと、覚えたての星座の名前を言って笑った。歯が白さをこぼして、天球の星座たちが傾いでいる理由を語る。雪の積もった田んぼと凍り始めた畦道。不意に呼ばれたような気がして振り向くと、手の中の温もりは消えた。急に寒さが吹き込んで来る。襟を立て寒さを消すために祈りの形に手を重ねて揉み込む。もう迎えに来たのか。随分早かったね。目の前には宵の帳よりも黒々とした瞳。凍える霜の風を集めて縒った糸のようなしろがねの髪は結いあげることなく、項から胸もとにさらりと流されている。紅を乗せずともあざやかな口唇がじゅんと月影に潤む。おかえりなさい。夢をみているのだと思った

みんなが薪を拾いにいく
むせ返るいのちの匂いをよそに
お医者様の薬指は
きちんと雪解けを待てるかな
点滴の代わりに涙が落ちて
もう一度眠れなんて言えない
ぱちぱちと爆ぜる熱を頬に滑らせ
きっとそんな話をしていただろう

食堂に誰かが活けた花があった。すっと白い花。たよりない花弁が八枚、黄色い蕊のぐるりを囲い、たぶんそれは毎日歩む散歩道にあったとしても、誰にも顧みられない花だろう。食堂でいつもと同じ食事を頼み、その食事が運ばれてくるまでの間、誰がなんのためにそこに活けたのか、ということをぼんやり考える。花は摘まれるまでは風に靡いていただろう。摘まれた瞬間、花も痛みを感じるのだろうか。暴力は不意に降ってくる。考える間も無く奪われる命もあれば、そうでもない命もあるだろう。例えば覚悟を決めた時、わたしは愛する人を思い出せるだろうか

凍蝶が砂漠を渡る
それを狩るように
幽霊を摘んでいたらしい
心臓に忍び込んだ小さな妖精の
小さな手に持った棘が循環する
もう一度眠れなんて言えない
これは夢ではないと
二つ折りの恋文がいう
隙間から砂をこぼしながら

あなたが死ぬまでにやるべきことは、死ぬまでにしっかりと生きることだ。今日またたくさんのパン屋が燃やされた。たくさんの水場が焼かれた。食を得ようと海に出れば、今度はたくさんの船が沈められた。小児科病棟に嘆きの緞帳が降りる。あなたが死ぬまでにやるべきことは、あなたが迎える死をしっている人たちにしっかりと別れを告げることだ。なにも告げることができなかった波打ち際には無数の手紙が打ち寄せられている。あなたの体を横たえているベッドの温もりは、あなたが死ぬことを知っている人たちのから捧げられた小さな松明の温もり。ほんの小さな理由がひとを生かす。ほんのちいさな理由が、ひとを殺す

大きな砂時計をこぼれる
一粒のすなだから 
取るにたらない、なんて
祈りも願いも
どれだけの人が口にしたのだろう

あんなにうざったく思っていた雑踏も、いざ人がいなくなってしまえば懐かしく思うものなのだね。さて手紙の続きを書かなくては、そんな風に考える。おまえのいる場所ではもう雪が降り始める頃だろう。もしかすると今年は流星が訪れるかもしれない。おまえは凍てつく前の野原に足を進めて、誰にも言わずにひっそりとその流星を見るだろう。前髪をかきあげ、悴む指に白い息を吹きかけて

目の色は復讐の夕陽に染められている
目の色を復讐の夕陽に染めている
沈まない夕陽が
いつまでも地平線を焦がしている
グリッサンドする
祈りそのものの
アリヤ
しずかに兄弟たちが
炙られている
指先を銃口にして
燃え尽きても
燃え尽きた事に
ずっと気がづかないだろうね
そうね、星のひかりだから
眠れなんて言えない
ベテルギウス
親しい友達のように呼びかけて
きみには火がみえるかい
違う名の神によって
熾された火が

これがきっと最後になるから、とあなたの髪飾りをせがんだ。逃げるときに邪魔にならないように最近刈ったばかりの髪は、髪飾りをするのには短すぎたのだけれど、あなたは笑って錆びた銀のそれを手のひらの上に乗せてくれた。体温が写し取られたように暖かく重いそれをきゅっと握りしめて笑う。留針が手のひらに食い込んだから涙がこぼれるのだ。そうないのよ。これからここに望まぬ雨が降る。足を引きずり逃げられない人もたくさんいる。妹はまだ小さくて学校に行ったことはない。学びとは不条理な生を拒む力になるはずだから与えられるはずはないのだ。わたしももうすぐ子を産める腹となり、この腹から生まれた子供はせめて学校に行ってほしい。父は戦士だ。血は宿命となり縁となり、恩も怨も正しく返される。わたしの髪が伸びる頃には、きっともうあなたはいなくて、あなたの代わりにこの髪飾りは私の髪に収まっている。いつか誰かにこの髪飾りを託すときがくる。それが自分の子供だったら、その時には誰かを恨まずに済むのだろうか。扉から光が溢れる。そうね。もう行かなければ

きょうはきっと
月が満ちることがないのだろう
汲み上げられた「善意」のシーソーから
不意に立ち上がる子どもたち
暗がりで聴いたシューベルトの
何番だっけ
夢をみたんだ
もう一度
きみという人称を使えば
きみのために祈りが捧げられるから
虫よ
ふたたび飛び込んで
「もう」
眠れとはいえない

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