踊れない   小林坩堝


踊れない   小林 坩堝

踊れないと言うまえに踊りだしているおまえの手足はなんだ破調して破綻して破戒してお
まえは言う「踊れない」! おれはおまえが嫌いだおれと同じ日常をおれと同じように鏡
映しに生きるおまえが嫌いだおれと同じ顔で笑っているおまえが嫌いだおれが言う「踊れ
ない」! あゝ季節は繰り返すおれもおまえも詐欺師の顔した季節に斃れるそしてなにご
ともなかったかのように忘れ否忘れたふりをして立ちあがりお仕着せの言葉を自ら背負い
込んで自害も他害もない被害も加害もないぼんやりとながれる水面濁った水面「踊れな
い」! そんなに棄ておかれることが怖いかそんなに過つことが怖いか聴こえない声に耳
を傾け聴こえない声を聴こえない声のまま発語して誰にも届かない叫びをあげ続けるその
無為に身を立てかけて狂うことに狂うそれがもてる矜持のすべてならばそのように踊れ!
いますぐに踊れ! おれのおまえのもたれている灰色の電信柱は何処までも連なってゆく
けれど接続つまりは断絶の自覚のもとに細い影を路上に投げかけて屹立する絶望の体現だ
そこにおれもおまえも希望を見出すだろうしかし青空! 照っているあれはなんだ土くれ
が降る土くれが降る雨よりも涙よりもやさしく土くれが降る風景を汚して埋めてゆく「踊
れない」! (悲しそうな顔をしていますね。悲しい出来ごとについて訊いているのでは
ありません。悲しそうな顔をしているという認識を言葉にしたのです。対話ではないので
す対面して浴びせかける独語です。ひらかれているかの如くに装った自閉です。ね、そう
やって時間を重ねてきたのじゃないですか。これまでずっとこれからもずっと。それでも
吼え声や慟哭や嘔吐や叫びやそういうものが差し伸べた手を握らせる握り返させる。抱き
しめてこんなに冷たいのは夜が明けるからでしょうか。海を視たい。幻視はもうご免です。
部屋じゅうに溢れてしまえばきっと愉快なことでしょうね。鏡に口づけすれば誰かとつな
がれるのでしょうか。水面じゃいけないでしょうね。あんなに濁ってノイズ否オモイデで
しょうかそんなものでいっぱいですから。バクテリヤが悲しそうなひと呼吸に死んでゆく
のです。無知など知などいずれにせよ美しくなんかない)「踊れない」! 季節は何処まで
繰り返すのか鳴りやまない声声声あゝくちぶえをくちぶえをどうか声がかれるまでなにも
かも裂けるまでそうすれば視えるだろう聴こえるだろう炎があがるあかあかと水面に焚き
つける祝祭だセレモニーだちぐはぐに身体じゅう持て余す踊れないおれがいるおまえがい
るおまえがいるおまえがいる…………

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「作品2011年10月28日号」の記事

  

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