短歌時評 第20回 棚木恒寿

 東日本大震災より半年が経った。会う人会う人とお互いの安否を確かめ合い、地震体験を語り合った3月ははるか昔のような気もするし、つい昨日のことのようにも思える。関西在住の私は直接に被災した身ではないということもあり、この半年間どこか躊躇しながら訥々と何首かの歌を作った。天災としての地震に加えて、社会問題としての原発事故の存在がどんどん大きくなっていったことも私を迷わせた。もやもやの中で時間が過ぎた。

「短歌往来」九月号の都築直子による「非日常という日常」は、歌人のここ半年間の迷いのようなものが伺えて、親しみを感じる文章だった。

 幸い命に別条なかった私が印刷媒体のなかで最初に目にした詩歌は、購読紙朝日新聞の三月一五日付コラム「天声人語」に引かれた作だった。窪田空穂の関東大震災詠「妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く板橋踏みて男ゆく」「梁(はり)の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後も聞く親」と、谷川俊太郎の詩の一節「子どもはなおもひとつの喜び/あらゆる恐怖のただなかにさえ」である。

   こう来るかと思った。一国の非常事態において、詩歌は作り手が作るより先に、マスメディアが欲するものらしい。なるほど八十八年前の地震も今回の地震も悲惨さは変わらないし、子供は常に希望だ。しかし、どうだろう。おあつらえむきと言いたくなるほど状況ぴったりの詩歌がたちどころに登場するのは、ちょっと気味がわるくないか。(中略)。視覚的にも空穂作の「こゑ」の「ゑ」など、二十一世紀の全国紙第一面に登場する文字としてはかなり異形であり、危機感の増幅に寄与している。

 最初に断っておくが、都築は反マスコミ的な思想がある人ではなく、非常にバランス感覚のある書き手である。普段、「歌人」としての肩書きでの社会への発言の少ない現代歌人にとって、マスコミからめずらしく言葉を求められる機会がこのような非常事態時であるという違和感は筆者にもよく分かる。マスコミに利用されている感じがして嫌だというのではない。歌人としてこだわりもあり偏愛することもある言葉が、ふいに無防備に社会に出てゆくときの違和が私には感じられるのである。

 関東大震災も、東日本大震災もたしかに悲惨な災害である。しかしながら、私の歌へのこだわりからいうと、八十八年前の悲惨さは、短歌の伝えるとおり(←ここが重要)今回のそれと同じであるというふうに言っていいのかどうか分からない。そのような読みは歌のドキュメンタリズムの部分、あるいは過去と現在の人間の連続性の部分のみを取り出して来ているように感じるのである。歌をメッセージの器として「利用している」のではないか。本当は、一首にはドキュメントの部分とそうでない部分、人間の時間を越える共感性とそうでない部分の両方が含まれているはずだと思うのである。

 都築の引用した空穂の歌について言うと、一首目で描かれる妻子を失い独り言を繰り返す男の内面は、ひょっとしたら人の感情を平易な言葉で描くという自然主義を通過しなければ得られなかった視点かもしれないし、「火を吐く板橋」は火を吐くような男の感情を誘き出すようで、意外にテクニカルだったりするのではないか。二首目の「後も聞く」には、火事ののち長きにわたって娘の声を幻聴として聞く親の姿があり、震災後の長い時間が歌に流れている。そこにあるのは、事実に即したものを歌にした強さだけではない。歌はシンプルに読んでいいと私も思うが、こういう非常事態に引用された歌だけに、実作者としてはいつも以上にこだわりをもって歌を眺めてみたいのである。

 また、都築は、同じ文章で阪神大震災時の水原紫苑の作品

捜査犬われにぞありける夢にして生者の息のかぐはしさ知る

 を引用して「「夢」と断るところは腰が引けているが、こういう「なりかわり」にはむしろ魅力を感じる」」とするが、転生や成り代りという水原の文学的テーマのうちにも震災詠の可能性があることも確認しておきたい。さまざまな形での震災詠の可能性はあり、一首の修辞を詳細に検討することが、普段にもまして重要となろう。

「角川短歌」五月号で松村正直が短歌時評で関東大震災時の空穂や、岡麓、植松寿樹らの歌を紹介している。「いずれも震災の現場に立って詠まれた歌であるだけに臨場感がある」「(前略)さまざまな具体を通じて当時の状況が描かれている。こうした歌に込められた作者の思いは、時代を超えて私たちの胸に直接届いてくる。これは言葉の持つ力であろう。」というコメントは、その通りであるし間違いではないが、上に述べたような意味で物足りなさも残った(ないものねだりなのかもしれないが)。言葉や思いは時空を超えて届くけれど、必ずしもシンプルに直接届くとは限らないと私は思う。

 さて、震災詠では心に残る連作が何篇かあったが、ここでは斉藤斎藤の作品について紹介したい。

三階を流されてゆく足首をつかみそこねてわたしを責める   「短歌研究」七月号
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ
泥水の瓦礫の底にそれらしき目で掻き分けてよくみれば基礎  「短歌往来」八月号            
いま来たらここ駆け上がる石段をのぼれば本気のテントは並ぶ

 最初に補足しておくと斎藤は現在千葉県在住であり、震災の影響がなかったとは言えないが、おそらく直接津波被害に遭ったわけではないだろう。引用作品では作中主体の視線が、なんとも不思議な所にある。二首目は、被災地を撮るカメラマンのような視点から歌が詠まれており、いつしか自分自身も津波に流されてゆくようだ。四首目も被災地を訪れていると思われる作中主体の視点からの歌。「いま来たらここ駆け上がる石段」までを読んだところで、いま津波が襲って来ているような切迫感を一瞬感じ、その残像を感じつつ下の句へ移ると眼前には避難所の実態が見えて来る。「本気のテント」という表現もどこかリアルで、圧倒される。一首の内に階段を駆け上ってゆく時間とテントを前に呆然と立ち尽くす時間が流れ、視線が移動してゆくリアリティーはまるで映像を見ているような不思議な歌である。ドキュメントといえばドキュメントであるが、震災という現実を前に文体を探そうとする必死の手つきが感じられる。不思議な臨場感と文体がくっきりと心に残った。

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