5月27日号 後記

  • 投稿日:2011年05月27日
  • カテゴリー:後記

俳句

今週の作品は花尻万博さん。このところ「南紀」というタイトルでの作品発表が続いています。それは風土的環境からくみあげられた表現でありながら、一方で、極度に繊細で私的な浮遊感を帯びた世界をも垣間見せてくれます。

山田耕司さんが時評で取り上げたのは、群像新人文学賞を受賞した彌榮浩樹氏の「1%の俳句―― 一挙性・露呈性・写生」。みなさんはお読みになりましたか? 私は読み始めてすぐつまずきましたが、山田さんも同様だったようです。「お~いお茶」俳句を毛嫌いする俳人ってときどき見かけますけど、彼らは一体何を恐れているのですかねえ。(TR)

自由詩

 今号の自由詩時評に取り上げられている福島の詩人、齋藤貢氏は、14日開かれた日本詩人クラブ茨城大会で、詩集「竜宮岬」所収の作品を朗読した。竜宮岬は福島県いわき市に実在する岬。「さあ。/ 大地の吐息を 吹き鳴らせ。/ 地籟は 草木に風の吹きすさぶ音。/ 地上のいのちが薙ぎ倒される悲鳴で。/ 蛇や蛙や鮒や泥鰌も悲鳴を上げよ。/ 地上の吐息は切ないぞ。」数ヶ月前から朗読が決まっていた詩行だったが、この震災と合致してしまい、聴衆は圧される思いだった。平穏な日に聴いた時とは、意味も重みも全く異なる次元に、言葉が生きていることを感じさせた。被災された方々の痛みを思い、詩人の役割を思う。 (OE)


三つの詩型の作品や時評を並べてみると面白い。それぞれの形が見えてくる。

自由詩は他の詩型に比べて、形そのものついて言及されることが少ない。自由とは形がないことだから、それも当然である。「戦後詩」がまだ生きの良かった時代なら、批評の基軸もあったが、今はなんでもありといった状況である。

有働薫さん榎本櫻湖さんの論考、そのような「得体の知れない」自由詩に、どのように現在が触れえるか、丁寧に書かれている。

しかし暗中模索である。

今回は拙作を掲載した。自由への批判であればと思う。

定型も自由を孕み、自由も定型を孕む。

自由詩は自由に甘えていないか。

一つの問いが浮かんでくる。(MM)


今回は「自由詩時評」で有働薫さんが「いわきの人々は私の詩作上の恩人」と書かれています。書いていくことで生まれる出会いを大切にしていきたいと改めて感じさせられます。『私の好きな詩人』は榎本櫻湖さん。「指の腹を切られる思い」ということばに象徴された詩を読む手つきに圧倒されました。(IM)

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