短歌時評 第49回 田村元

『昭和短歌の精神史』の文庫化について

 三枝昂之『昭和短歌の精神史』が文庫になった。角川ソフィア文庫である。単行本が本阿弥書店から刊行されたのが平成17年(2005年)だから、7年を経ての文庫化である。もしまだ読んでいない方がいたら、ぜひこの機会に手に取ってほしい一冊だ。歌人だけでなく、俳人や詩人の皆さんにもオススメしたい一冊である。では、『昭和短歌の精神史』のどのあたりがオススメなのか。

 「あとがき」によると、著者の問題意識は次のようなものである。

 戦争と敗戦と占領という未曾有の事態が襲ったために、昭和の短歌には大きな裂け目がある。大東亜共栄圏の神話と戦後民主主義の神話とそれを図式化しておくと、私たちが今日読むことのできる昭和短歌の通史は後者の価値観に基づいて書かれている。渡辺順三『近代短歌史』と木俣修『昭和短歌史』がそれにあたる。粗く言ってしまえばそれらは、占領期文化は真摯で戦争期の多くは時局便乗、という見取り図に従って書かれている。敗戦・占領という困難の中での文化再建という極めて厳しい課題を担った当事者にとって、それは当然の判断であり、選択ではあった。しかしながら、そのために短歌史は占領期文化の尺度を抜けられないままに描かれ、歌人たちと短歌作品のあるがままの姿が失われた。

 「戦後民主主義の神話」に基づいて描かれた従来の短歌史を検証し直すことで、戦中戦後の「歌人たちと短歌作品のあるがままの姿」を描き出そうというのが、本書の試みである。当時の資料に丁寧に当たることで、少しずつ歴史が書き替えられて行く過程は、推理小説を読んでいるような面白さがある。

 具体的に、いくつかの章を紹介したい。

 「第Ⅱ部 七 斎藤茂吉日記『八月十四日ヲ忘ルヽナカレ』考」は、昭和20年8月15日の斎藤茂吉の日記にある、「八月十四日ヲ忘ルヽナカレ」という記述についての検証である。茂吉が玉音放送を聞いた感慨を書いている部分だが、「八月十四日」については、玉音放送があった八月十五日の誤記であるとの見方が、従来の通説になっていた。その通説を当時の資料に当たりながら検証していくというのがこの章の内容である。通説が否定され、全く別の見方が提示されて行く過程が実にスリリングなのである。数ページの短い章なので、書店での試し読みの際にもオススメしたい章だ。この章の面白さに触れたら、迷わずレジに向かってしまうだろう。

 「第Ⅲ部 五 傍観という良心」では、戦後の近藤芳美の歌を、表現史の観点で戦中短歌と比較し、位置づけるという試みが行われている。少し長いが引用したい。

 表現史の観点から見たときに、近藤の主張はどんな意義を持っているのだろうか。即物的な〈もの〉の提示によって新しい時代の歌を切り開こうとしたその行為は、皇国を支えることに心を砕いた戦中短歌の観念の余剰装飾をそぎ落とした。つまり、戦中短歌の観念肥大をシェイプアップする役割を果たした。それは「人民短歌」が意図したことと正反対である。彼らは〈皇国護持〉という観念を〈人民の革命〉という観念に置き換えることによって歌の転換を図ろうとした。それは別の観念で戦後短歌を装飾しようとしたことを意味する。そこが近藤と「人民短歌」の決定的な違いだった。表現の姿から見ればプロレタリア短歌も皇国短歌も先験的な観念を前提としている点で同じだった。前者は善で後者は悪という考え方もあるが、それはイデオロギーがいうことであって、歌に内在的な問題ではない。

 近藤芳美が「新しき短歌の規定」で打ち出した、即物的な〈もの〉の提示という方法が、戦中短歌の観念肥大をシェイプアップする役割を果たしたという指摘は鋭い。プロレタリア短歌も皇国短歌も、先験的な観念を前提としている点では同じであるという指摘にも、ハッとさせられる。

 原発災害を経た現在、短歌雑誌をめくれば、単純に、東電けしからん、政府けしからん、というだけの歌を少なからず目にする。こうした歌も、「先験的な観念」を前提としているという意味では、皇国短歌と同じようなものなのかもしれない。前回の時評で思想詠のことを取り上げたが、観念だけの歌に陥ることなく、いかに対象に迫り、思考を深化させるかが、思想詠には求められるだろう。

 『昭和短歌の精神史』は、単なる短歌史の本ではない。現在の短歌を考える上でも、多くの示唆を与えてくれる一冊である。

※「三枝昂之」の「昂」は、正しくは異字体。

作者紹介

  • 田村 元(たむら はじめ)

1977年 群馬県新里村(現・桐生市)生まれ
1999年 「りとむ」入会
2000年 「太郎と花子」創刊に参加
2002年 第13回歌壇賞受賞
2012年 第一歌集『北二十二条西七丁目』刊

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