文体の変化【テーマ:言葉の空白】/筑紫磐井

長い休みが入ったので、テーマを変更してみたいと思う。新しいテーマは文体の変化。ただ、楠本憲吉を眺めてきたのでその冒頭に憲吉の「妻と女の間」との比較で眺めて、まずは憲吉の文体の探究をしてみることにしよう。

 憲吉にこんな句がある。

死んでたまるか山茶花白赤と地に
 

楠本憲吉のこの句の文体を見ると、現代流行している俳句の文体との明瞭な差が浮かび上がってくるように思われる。もとよりこのように変わった文体がはじめからあったのではなくて、憲吉が獲得していった文体なのであるが、逆に我々が知らず知らず使ってしまっている文体を、俳句固有の文体であると思い違えてしまっていることを反省しなければいけないかも知れない。

掲出の句を分析する前に、もっと分析しやすい典型的な例を、憲吉の句からあげてみよう(これは「妻と女の間」の句ではないが)。

山割る植林かなたに送電線そして雲 

この句は恐らく次のように鑑賞してみることが必要であろう。

山割る植林 かなたに送電線 そして雲

虚子は憲吉の俳句を「言葉遣いは我ら仲間と違っておってちょっと不愉快」と評しているが、確かに俳人一般の言葉遣いと違っていて、不愉快と感じる人もいるかも知れない。しかしよく見れば、そこに描かれているのは客観的風景であり、いくつかの重層した風景を重ねて立体感を出している。「写生」という言葉が実際スケッチであるとすれば、不愉快な言葉遣いであるが、子規や虚子のいう写生を実践しているわけである。

「山割る植林」の句、いま私が示した鑑賞法で眺めてみれば、中景にある植林、その向こうの送電線、そして遠景の雲を、わずか17文字の中でそれなりに的確に描いていると言うことが出来る。その秘密は、このずたずたに切れた言葉の塊にあるのである。

だから冒頭の句も次のように鑑賞すれば多少分かりやすくなるのである。

死んでたまるか 山茶花 白赤と地に

山茶花があり、その花びらが白・赤と地に重なり落ち、そして作者は「死んでたまるか」という思いを述べるのである。「死んでたまるか」と散り敷く白・赤の山茶花の唐突な出会いが、俳句的ではない、散文的な出会いを感じさせる。勝手に表記を変えてしまったが、少なくともこうした表記法にした方が、作者の気持ちが多少とも伝わりやすくなるのではないかと思う。

もちろんこの句が傑作であるといおうとしているのではない。近代俳句の文体のひとつの特徴であったといいたいのである。従来の俳句とは全く違う叙述の体質を持っている。写生から発展すればあり得そうでいながら、その後あまりこうした文体を示した作家はいなかった。その理由はまた改めて述べることにしたいが、前衛俳句のわかりにくさなどを論ずる前に、憲吉のこの文体を考えてみたいと思うのである。

「戦後俳句を読む」を休止したので、これを機会にもう少し憲吉の俳句から同種の傾向文体の句を掲げてみる。まず、特殊な憲吉の句の構造分析をしてみようというのである。

 
この無駄な時間僕には黒い雪が降る 
真白き狙撃手閑散画廊の白百合は 
酔いという過去流木に似て非の黙 
夫人が撞く鐘の音存分に吸う緑雨 
あなたあじさい色に昏るらしひとりの餉

これを分かち書きで書いてみよう。駄句のように思われてきた1章が、手品のように新鮮な感覚で浮かび上がってくる。

この無駄な時間 僕には黒い雪が降る
真白き狙撃手 閑散 画廊の白百合は
酔いという過去 流木に似て 非の黙
夫人が撞く鐘の音 存分に吸う緑雨
あなた あじさい色に昏るらし ひとりの餉

さすがに憲吉にもこの種の句はあまり多くない。しかし、この句を基調に眺めてみることによって、憲吉の句業の特色が見えてくる。憲吉の句業の全体に見えてくるバタ臭さは、一つにはこうした分かち書きを許容する文体が基礎になっているのである。

   *    *

実は憲吉と対比したい作家が一人いる。憲吉のこの文体を考えるに当たって不思議に付合する作家なのだが、現在では殆ど無視されている。もちろん、憲吉も無視されている点では引けを取らない。果たして彼らが何を見つけたのかが分かれば、新しい俳句のヒントになるように思う。その作家とは、河東碧梧桐である。

山夕立つを見し語るひまもなき   『八年間』
板橋に羽鳴らす蝉ならん飛ぶ     
水踏みをればいづこ草がくれ呼子吹く
イワナ一尾一尾包む虎杖の葉重ねて
火焚き捨てしさめさめな野営跡となれり
雪田をすべり来る全き旭となれり
高瀬河原狭霧晴れ行く縞作る
砂瀧の殺ぎなす刃夏木滴れり
雷鳥を追ふ谺日の真上より
綱下ろすを待つ間汗引くしづ心
国境風の吹き渡る涼しさに声を呑む
あらはなる肌まざと雪水にうつりぬ
偃松みどりの畳めるに白砂流れかな

これらは、現代の俳句としては理解しがたいかも知れない。しかし、日本で初めて北アルプスを縦断した俳人がその時の景色を嘱目で写し取った写実的風景としてみるとき、この文体でなければ述べ得なかった感動が伝わるように思う。特にそれは、分かち書きを入れることによって一層明瞭に浮かび上がるように思う。

山 夕立つを見し 語るひまもなき
板橋に羽鳴らす蝉ならん 飛ぶ     
水踏みをれば いづこ 草がくれ 呼子吹く
イワナ一尾一尾 包む 虎杖の葉重ねて
火 焚き捨てし さめさめな野営跡となれり
雪田をすべり来る 全き旭となれり
高瀬河原 狭霧晴れ行く 縞作る
砂瀧の殺ぎなす刃 夏木滴れり
雷鳥を追ふ谺 日の真上より
綱下ろすを待つ間 汗引く しづ心
国境 風の吹き渡る涼しさに声を呑む
あらはなる肌まざと雪 水にうつりぬ
偃松 みどりの畳めるに 白砂流れかな

575の定型を否定した、1句1句独特のリズムが、1回限りの風景を浮かび上がらせる。分かち書きとはそうした効果があるのだ。普通の俳句で見る、575のべたついた言葉のつながり合いと違った、新鮮な言葉の関係が見られるのではないか。

例えば憲吉であっても、冒頭に掲げた句以外の「妻と女の間」の句はほとんどべたついた言葉の関係でできあがっている。

スリットがこぼす脚線ころもがえ
夜の未亡人という香水を購いにけり
毛糸編む女ひとりの悲喜こもごも
女体塩の如くに溶けて夜の秋 52年
若き人妻春昼泳ぐごと来る
風花やいづれ擁かるる女の身
妻よわが死後読め貴種流離譚
ヒヤシンス鋭し妻の嘘恐ろし
とある女ととある話の虫の宿
寒厨暗いシャンソン歌うな妻
惜春や妻の寝息のアンダンテ
終い湯の妻のハミング挽歌のごと

などはねっとりした情緒がまとわりついているようである。分かち書きのスペースを入れるとしてもほとんど上5の次、中7の次の発生的な切れが入るだけで、分かち書きによって新しい言語空間、いってみれば散文に近い文体が生まれることはない。おまけに各文節文節が、まだ因果関係をもって繋がっている。おそらく世の中にあるほとんどの俳句がこうした連体形・終止形・助詞をもって言葉のつながりを生んでいる俳句的文体でできていると言うことが出来るであろう。前出した憲吉や碧梧桐の限られた句は、新しい文体の創出を目指したものであったことを認識しなければならない。

季語の有無を別にして、俳句の定型性というものは俳人一般共通しているように見えるが(575を逸脱したものは字余りとか字足らずとかで解決できるように思っているが)、実は俳句臭のある文体と、俳句臭のない文体とに分けなければいけないのである。憲吉や碧梧桐は俳句臭のない文体を目指した作家と言うことが出来るのである。

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