病めるときも詩は寄り添う.- 医学雑誌の投稿詩コーナー –
 コマガネトモオ
Poems stand close to you -JAMA poem at present-
Tomoko Komagamine, MD

  • 投稿日:2012年02月10日
  • カテゴリー:Special

Journal of the American Medical Association(米国医学会雑誌,JAMA)は1883年創刊の医学専門雑誌である.インパクトファクターは30前後を推移しており,最高峰の科学雑誌のひとつに位置付けられている.医学論文のほか医事ニュース,論説なども掲載されているが,そのJAMAに,投稿詩で構成された「詩と医学」のコーナー(JAMA poem)があることは意外と知られていない.

 由緒正しい医学雑誌に詩の投稿欄がある,ということを見つけた悦びを想像してほしい.もろもろの感慨がいっせいにめぐり,めまいさえした.まず詩の力が信じられていること,それから米国で詩歌という言論形式の社会的評価が安定しているからこそこのようなコーナーがあるということ,そして病をめぐる詩語の豊潤なこと,しかし詩の愛好家の目に触れるのだろうかという不安(実際にはNew York Timesに書かれているように楽しみにしている読者はたくさんいる),などが押し寄せてきた.

 JAMA poemの基本情報を知ろうとネット検索したが,英語でもあまり情報は転がっておらず,それならばむしろ自分で書いてしまおうとここ「詩客」に場をいただいた.1998年に刊行されたJAMA poemアンソロジー『Uncharted lines』(C. Breedlove編, 1998, Boaz Publishing Company, CA, USA) によれば,少なくとも1980年代から続いており,投稿者は患者,患者家族,医者,医療従事者と,病に関わる人すべてと広く,内容は病気やその苦労,そして医学に関するものと,病気関連ならなんでもである.

 医者が研究論文を掲載する一方で,同じ冊子に患者が病に向き合う詩を掲載しているというのも,象牙の塔のイメージのある日本からすると不思議な距離感である.しかし欧米の医学専門誌では患者による「今号のよかった論文」のランク付けコーナーがあったりして,日本と比べて垣根は低い.患者と医者とは本来,病気への関心という点で,同じ興味を共有している存在なのである. 2011年1月から12月までにJAMA poemに掲載された詩の一部を翻訳,引用する.なお今回の翻訳にあたって著作権者の許可を得た.

Lung Song 肺の歌

Julie Dunlop

(JAMA. 2011, Feb 2, 305(5): 443)

肺の無数のポケットの中で
忘れられた苦悩が眠っている.
それらは肺胞の中で巻き上がり
厚い青灰色に脈うち
気づかれない,
呼吸の中に捉まるまで.
浅瀬の探索では
この深みまで至らない,
底へのダイブ,遠い数万マイルの果て
不可触のまま,
かつての痛みは
堅牢な殻に包まれ
沈泥と土砂とで型取られ
大気からほど遠い
腔から腔を灌流する
息を吐く,息を吸う,息を吐く.

Copyright 2011 American Medical Association

 多くを語らず,最小限の単語を用いているにも関わらず,blue-gray,おそらく肺胞標本の色から,あるいは大気と肺胞底部までの長い距離から着想をえた複数のイメージが,ポリフォニックに錯綜するよう構成されている.blue-grayは深海のイメージをも喚起し,大気にけっして触れることのない深さが,青い色彩の象徴する悲しみ(griefs, 苦悩と訳したけど)や痛みとに集約されたところで,呼吸を入れて循環させる.腔と訳したけども原文はcanalsで,地球の情景のようでもあって,青灰色が美しい.

 詩歌に,癒しや人生哲学,倫理など人生や品性に対してなんらかの実効力を求めてしまうことを現代詩の担い手は恥じらっている.これは自明のことで逆にそう指摘するのもなんだか照れくさいほどである.しかし一般社会にとって詩歌に求めるものは柴田トヨの生き方だったり,魂の手本となるような高潔な態度であって,ひょっとするとこの期待に応えられない負い目が恥じらいにつながっているのかどうか,よくわからない.期待に応えるというよりむしろ時代を読むということは臆面もなくやり遂げたいと詩人たちは自負しているように見え,みごとに時代のネオテニーを体現する精神性の未熟さだけが,良くも悪くも照れることなく話題にされている.震災を機に期待に応えようとする詩人も一時的に増えたが,その点に関しては他稿にあずける.こと病に関しては,毅然とした態度や人生哲学の点で秀作が多いのではないだろうか.

Lost Iambics: Long QT Syndrome 弱強5歩格の喪失:QT延長症候群のソネット

Valerie Wohlfeld

(JAMA. 2011, May 4, 305(17):1740)

私は途絶と再開,そして遅延の中で生きている.この家系は
心室におののいている.心臓の刺激伝導系は,
誤発火により一時停止する.
この致死的心臓については,よく理解されているとはいえない.
詩人たちはみな同意する,ツグミの歌うシンコペーションはすばらしいと,
――けれど,停止信号となる発火,
私の失神(シンコープ)する心臓は常に切迫した問題なのだ.
韻文の中のストローフェさながら,調子狂いの脈拍のなか,私は
不正確に分割された数秒を,
足並みをそろえずにペースを緩めてしまう脈拍を
数えるだろう.流れの破綻がくる.
ツグミのリフレインは私の失われた弱強格だ,テンポの
セットとリセットの繰り返し.誰が思い至るだろうか,流速の遅れに――
乱流にもまれる心室で,腱索が押して引く.リズム違いの脈拍のはざまに.

Copyright 2011 American Medical Association

 この詩が恐ろしいほど計算されている点は,sonnetで書かれていることである.8行目まで弱強5歩格で,正確に脚韻を刻んでいるのだが,ソネットで調子を変えてその詩の核心とする第9行目からテンポを崩すのである.題名に書かれているように,弱強格を乱し,脚韻が途絶する.QT延長症候群とは,本来鼓動のリズムを正確に刻むはずの心臓の刺激伝導系が,うまく働かずに不整脈をきたし,失神や突然死に至る病気である.原因は遺伝性のほかに薬剤性のものもある.発作がいつ起こるかわからない不安が歌われているのだが,ソネットという定型詩の約束事を使って,そのリズムの崩れを脈拍のリズムの崩れにリンクさせて不安を追体験させていくところに詩歌の面白さ,アクロバティックな技巧を光らせている.詩はこんなこともできる.

 我が国で「病と詩」を話題にして避けて通れない詩人がいる.宮沢賢治である.彼が愛した多面体の結晶さながら,彼の人の作品はひとつのテーマや主張から論じるべきではないほど多彩な文脈を持つものの,病床もまたひとつのテーマでもあるだろう.患者家族として「永訣の朝」(『春と修羅』1922年,私家),患者として「眼にて言ふ」(いわゆる『疾中詩篇』)など圧倒的な力強さで心をえぐる珠玉の名作がある.現代詩で病と作品とが切っても切り離せない関係であるとして思い出されるのは,全身性ループスエリテマトーデスとその治療薬の双方に苦しみ,大腿骨頭置換術も経験し,それらがすべて詩作品に盛り込まれている三角みづ紀がいる(「あまのがわ」『カナシヤル』2006年,思潮社).また,統合失調症でのかつての措置入院歴を公言し,乗り越えた今だからこそむしろ鮮やかな幻夢のような不思議な入院期間を作品化している佐伯多美子などが挙げられる(「第一章」『睡眠の軌跡』 2009年,思潮社).患者家族という視点では,認知症の母を自宅で介護する先の見えない生活を綴った山本博道「秋」(『光塔の下で』2011年,思潮社)が思い出される.いずれも病の箱の中から,緊張感が長い間ほどかれない切迫した声がこちらに真に響いてくる,そんな鬼気迫る表現であると思う.

 医者で詩人は多くいるが,かえって医療についての作品は多くないように思われる.偉大な歌人であり医者である岡井隆による患者の視点での詩歌がある(「人間ドックを終わつた午後」『限られた時のための四十四の機会詩 他』2008年,思潮社).いまは亡き免疫学の大家・多田富雄が医学生時代に安藤元雄らと同じ同人誌面でしのぎを削っていた頃の作品には,医学生としての自負の片鱗が光る(というような話を先生としてみたかったけれど,お会いする機会のないまま他界されてしまった.『多田富雄詩集 歌占』 2004年,藤原書店).医療現場の詩人といえば慢性期療養病棟での看護体験を淡々と告解する看護師の寺田美由記がいる(『CONTACT 関係』2007年,思潮社).寺田さんとは直接の面識はないものの,研修医の時に短期間だが同じ病院に住み込みで赴いたことがある.作品「記念日」は神経難病で意思表示にひと苦労する患者さんとのコミュニケーションの成立を喜ぶ詩で,日々の所感として非常にリアルで共感できる.

Number Needed to Treat 治療必要例数

Adam Possner, MD

(JAMA. 2011, Aug 10, 306(6):587)

舌触りがいい,語呂がいいのは 
    6音節 
      4単語 
        2章立ての頭韻付き 
 
とある数字が由来する 
    数への信仰から 
      祭壇上の一人の犠牲から 
絶対リスク減少率という名の祭壇から由来する. 
 
医学部ではこう教わる 
    患者を治療するということは 
      患者の症状改善をもたらすということに 
めった至るものでない. 
 
だから患者にはこう約束する 
    この錠剤は 
      多くの胃の中に放り込まれた賽の一振り 
          とある日少なくともあなたがとある一人の患者であれば 
あなたの望みはかなうでしょう. 
次々に私の患者は感謝するけど 
    おそらく何も 
      なってないそのお薬に 
        とある一人の患者でなければ― 
「テ・ン・ノ・カ・ミ・サ・マ・ノ・イ・ウ・ト・オ・リ」 

Copyright 2011 American Medical Association

 これは医者の作品である.治療必要例数とは近年重視されつつある専門用語で,略語のNNTが日本ではより汎用されている.ひとつの治療(内服薬やその他治療法)が実際にある目的の病気を改善・予防するまでに必要とする人数を示す数字で,薬効のひとつの指標である.NNT 3だとすると,3分の1の人に効くという意味である.NNT 3の薬はそうそうあるものでなく,例えばとある代表的な高血圧の薬は6年間でNNT 25で脳卒中を減らす,とする.つまり薬というものはすべからく万人に効果を発揮する存在ではなく,効く人と効かない人との確率がそれぞれなのである.ある特定の確率の中で治療されているという怖さを寓話的に歌っている.著者は大学病院の准教授とあって,内容は若い医者に向けての教育的なメッセージになっている.同じ著者によるJAMAへのこの他の掲載詩をみると,検査辺重の若い医者へ,診察の重要性を強調したりと,後輩へのメッセージが多いが,他にもさまざまな医学雑誌に詩を寄稿しており,疾患病因を大胆な象徴により幻想的に意訳するものなどもあり,詩芸に富んでいる.

 ところで,病室で詩が書かれているのをまだ私は見たことがない.入院するくらいだから本人にはそこまでの体力がないし家族にはそんな余裕がないというのが真実であるだろうが,詩集が読まれているのを目にしたのも数えるばかりである.そういう時は嬉しくなって声をかけているが,好きで読んでいるというより,「差し入れなの」という返答だったように思う.そんな中,世界のどこかで,病と向き合うときに詩をたずさえて,あるいは詩を頼りにしていこうという人々がいる.そんな勇気に私は寄り添いたい.

Milestone 道標

Donna Pucciani

(JAMA. 2011, Jan 19, 305(3): 228)

カエデの葉を陽が照らす 
今日は特別な日― 
 
担当医が抜糸する 
皮膚縫合部のその下は 
 
人工骨を覆う.鋸歯状の断端は 
運命のやいばを越えてまだ癒えない. 
 
あなたはあなたの傷をまとう 
まるで老兵のように跛行しながら 
 
誇らしげに病院を後にする 
新たな杖をたずさえて.  

Copyright 2011 American Medical Association

 原文はテンポよいリズムと押韻で構成されている.この投稿者はすでに4冊の詩集を上梓し,数々の受賞歴のあるアメリカ現代詩人である.JAMA投稿欄でも常連である.そんな事前情報はないうちに,週の数だけある作品群の中で目についたわけだが,その魅力はこの詩が病気から目を逸らさないままで前向きになろうとする意志をみなぎらせていることにある.また,翻訳の壁も乗り越えられるメッセージ性も重要な点である.短いなかに起承転結を盛り込むという詩の基本的な構成が,JAMAの主な読者である医者に限られた紙面でメッセージを伝える点でとくに有効な作品であろうと思う.医者はふだん「病歴聴取」に時間をさくことに集中し,あまつさえ患者から苦労を聴きとることはあっても,前向きな決意をストレートに聞かせてもらう機会はない.聴取マシンとして機能することも重要な仕事だが,人間としての尊厳とはなにかを痛いほどに感じる機会は得難く,得難い機会に出会えた場合には,結果としてマシンとしての臨床能力向上につながる.それは取り組むべき問題が,脳であれ心臓であれ,人間そのものであるためだからだろう.普遍性のあるメッセージだが,医者へのメッセージとしては教育的側面もある作品である.

 詩はなんらかの力があるか,詩は困難に直面している人の力になれるのか,私たちは詩歌から力をもらえるのか,もらおうとしていいのか,与えようとしていいのか.なにも手段がない,言葉だけがある,そういう場面で,詩の力を信じたいとひそかに思いながら,私はまだ言いだせないでいるのだが.詩が力になれるよ,とは.

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