春 中村堯子
布抜いて水持ちあがる四月かな
野梅にも前歯にも米粒のひかり
春の土踏んで樹影を踏みつぶす
目がしろじろ文房具店の日永
蝶の昼棚は曇りて皿は照り
姦しや当てすぎのパーマ囀も
蒸蛤女ばかりの座る店
崖下の春音の主犯はテニス
胡椒瓶胡椒にかすれ百閒忌
菫束ほどくに借りる小き盆
わが句作叩けば匂う木の芽に似
蛇穴を出る老身も膝出る服
黄金週間魚卵を醤油漬け
「紅梅?」ときく風呂の湧く寸前
薄氷や魚屋の床鰭ちらばり
ミモーザはよく集まつた家のいろ
絵踏みの日駐輪場は雑魚光り
画家の苦は草押してさくクロッカス
初蝶のよぎり薄着の腕さする
開花前工場唸り犬唸り
ミニエッセイ
二月の木
飛行機嫌いが、巴里まで飛んだ。当地に友人夫妻がいて私たちが居るあいだに是非といってくれたからだ。
やはり石造建築の街は重厚だ。その石を切った窓々に灯が入るのは美しい。日本でいう石灯籠に灯がともる。それが街中という感じかも。この景にああ巴里だと思う。路上にあるタバコの吸殻や犬の糞、これらを踏まずにと神経を使うときも、ああ巴里と思う。などと書くといかにも巴里通。フランス語書けぬ、読めぬ、喋れぬ、ふつうの観光おばさんの私と記しておこう。でも、巴里という字面も音もああと人の情に囁きはする。
八日泊。そのうち一日だけ郊外へ出た。ゴッホの終焉の村、オベールシュルオワーズを訪ねるためだ。巴里から電車で一時間半くらい。小さな村だった。こんなに少し来ただけで、すっかり別の巴里になるのには驚いた。ゴッホはこの村にたった二ヶ月しか居らず、死ぬのだ。自ら胸に銃弾を撃ち込んで。
ゴッホの描いた、教会も区役所もベッドのある自室もみなそのまま村に残っていた。そのままといっても、私は知るよしもないが、まるでそうに違いないと思わせる村だった。ゴッホの跪いた教会は何の飾りもなく色もないという感じで、岩の塊を思わせる素朴なもの。古い形式を持つのだと、友人はいう。苦悩の深いゴッホがどのようにして神と向かったのか、春光のなかにも冷たい風のあるその日のあまり広くない田園の風景が身にしみた。
田園は教会の後ろに続く道から見えた。畑の土はオウド色でぽくぽくしていて、まだ何も植えられていなかった。畑は奥の森で終っていて、木のなかには、あのゴッホが描いた、幹に溶岩のような瘤をつけ、真っ黒で針金みたいな枝がつんつんしている。そんな木を見るたびに、ゴッホの憂鬱が想像された。道を曲がると墓地に出た。多くの墓石のある隅っこに、ゴッホと弟テオの墓がひっそりと並んで立っていた。二基の墓を覆う蔦に造花の向日葵が一本突き立ててあった。猛烈に哀しい花だった。
ゴッホの絵を特別に好きではないが、ゴッホの苦悩、労苦、不器用な生き方をほおってはおけない。いくら時代遅れといわれても、ものを作る、俳句を詠む私にとっては。
作者紹介
- 中村堯子(なかむら・たかこ)
昭和20年11月2日 京都市生 美大の油絵科を出て、
昭和49年より、桂樟 子主宰「霜林」にて俳句を始める。
のち、上田五千石主宰「畦」に移り、師の亡くなるまで、
昭和54年から平成9年まで学ぶ。現在、中原道夫主宰「銀化」同人。
句集に『風の的』『樹の音』『ショートノウズ・がー』がある。