ノーカントリー  伊武トーマ




ノーカントリー  伊武トーマ

 目覚めると私は一匹の毒虫になっていた。
 極彩色の腹をくねらせ醜い角を伸び縮みさせ
 のたうちながらベッドから転がり落ちた。
 自分の粘液に滑り前へ進むのもままならず
 ようやく寝室を出ると
 背後で繰り返し携帯電話の着信音がした。
 
 もちろん電話に出ることなど出来ない。
 全長一八○センチ重量七○キロ。
 巨大化した蛾の幼虫さながらの姿では腹をくねらせ
 何やら全身からとめどなく滴る粘液に塗れ
 どたばた転げ回るのが精一杯だ。
 もしベッドに上がることが出来たとしても
 電話をとる手もボタンを押す指もない。
 たとえうまく角を伸ばしボタンを押せたとしても
 この姿では人間の言葉は話せないだろう。
 
 十数時間前。つい昨晩のことだ。
 帰宅後いつものように犬の散歩をしていると
 公園のブランコが揺れていた。
 右へ左へ線量計の針が大きく振れるように
 風もないのにブランコは揺れ
 また余震かと思って顔を上げると
 電信柱も送電線も揺れてなかった。
 
 散歩を終え汚れた肉球をタオルで拭い
 犬を連れて家へ入る。
 エサをやりリビングに寝かせつけ
 私はひとり寝室へ行きベッドに入った。
 もしかしたら私が犬と戯れているとき
 犬の方が私を相手に戯れているのではないか?
 答えのない自問を繰り返す摩訶不思議な夢から覚めると
 意識は〝私〟のまま私は
 一匹の毒虫になっていた。
 
 為す術なく廊下で丸まっていると
 犬が私を見つけた。
 地を這うような低く不気味な唸り声を上げ
 犬は獰猛な牙を剥き全身の毛を逆立たせ
 前屈みになって前足に力を溜めている。
 
 昨晩 散歩の後。
 犬からはずした首輪とリードともに
 床に投げ置いたままの線量計が
 蹲る私の傍らで大きく針を振り切る。
 携帯電話の着信音は鳴り止んだが
 線量計のアラームは鳴り止まず
 無人のブランコを揺らす何者かに背を押されるまま
 犬は涎を流し私を殺しにかかっている。

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