『日本の中でたのしく暮らす』批評会-あるいは永井祐の透明な鎧
2012年12月16日(日)に、永井祐『日本の中でたのしく暮らす』の批評会が中野サンプラザで開催された。永井祐は、
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる
などで有名になってしまった、早稲田短歌会出身の歌人である。その永井祐の第一歌集が今年5月に刊行されたときは、ああ、やっとまとめて読めるのか、という気持ちが強かった。
今回の批評会は二部構成で、第一部が今井恵子、大辻隆弘、澤村斉美、瀬戸夏子によるパネルディスカッション(司会は斉藤斎藤)、第二部が鼎談「永井祐と2000年代の短歌の流れ」(五島諭 、土岐友浩、西之原一貴)だった(すべて敬称略、以下同様)。
第一部では、今井から
一字あけを用いることで、ただの描写ではなく、永井の歌に通底する「何ものか」が付加される。
(永井には)言葉に出せない、言語化できないものを描き出したいというのがあるのではないか。
現象の中に凹凸があるとしたら、凸の部分を描いて凹の部分を暗示する、というのが近代短歌の流れだったが、永井の場合は、「私の感情」「感覚」ではなく、「私」をひとつの場所と考えて、その中を流れて行くものを歌として言葉に定着させていこうとしているのではないか。
という提起があった。また、大辻は
ここにある心どおりに直接に文章書こう「死にたい」とかも
を永井の短歌に対するマニフェストと捉え、
白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう
を例に
「今この瞬間(=時間の定点)」を明晰に打ち出そうとする近代短歌に対して、時間の定点を多元化するのが永井の手法なのではないか。
ある一点の「現在」から過去や未来を見渡すのではなく、あくまでも瞬間瞬間の「現在」が次々に移動していく。そのため、「て」という助詞が非常に多くなる。
とし、助動詞/助詞の使い方を茂吉との比較として提示した。
同じく大辻が指摘した口語特有の表現(例:「みたいのも」「こっちの電車<のが>」)の多用も含め、上記の表現上の工夫や修辞は当然ながら完全に意図的に用いられたものだが、それが「初心者っぽい」「舌足らず」と受け取られがちなのは、読み手の評価基準を揺るがす新しい手法が受容されていない(その手法を手法として受容できる読者とそうではない読者がいる)ことを意味している。
しかし、澤村が巻頭の
なついた猫にやるものがない 垂直の日射しがまぶたに当たって熱い
が初出時(早稲田短歌会と京大短歌の合同合宿での歌会のとき)には「まぶたをつつんで熱い
」であったことに触れて
「つつんで」のほうがふわっとして詩的であるのに対し、「あたって」は即物的でまっすぐ。歌集にするときにより即物的なほうを選んだというのは象徴的なのではないか。
と指摘しつつ、歌集を通読した結果として
文体としては抒情的な部分を排除する文体だが、歌集全体を通してみると強烈に抒情を感じる。「絶対短歌的抒情にはいかない」「世間でよいと思われている方にはいかない」というアンチの抒情が立ち上がってくる。
と述べたように、歌集なり連作なりのまとまりとして丁寧に読めば、この文体を選択することで永井が意図しているものがあることは明白である。
永井の歌に関しては、「この文体が(初心者のまぐれではなく)確信的に選択されたものなのか」「この文体が『閉塞した時代を生きる若者の諦観/時代への抗いの手段』なのか」という点がこれまでの議論の中心にあったように筆者は思う。
批評会の中で主に取り上げられたのは文体の話で、この文体を通じて永井が何を目指しているのか(何と戦っているのか)については瀬戸が
(永井の歌は)社会学的に読み解いていくと新しい切り口で分析できるのではないか。
巨大な無意識によって(時代という)暴力に抵抗している
と述べたところで時間切れになってしまい、非常にもったいなかった。個人的には瀬戸の論をもう少し時間をかけて丁寧に聞いてみたかったと思う(ごく限られた時間の中で提起するには前置きが長過ぎ、中心となるべき本来の主張が伝わりづらくなってしまったのではないか)。
*
同じ年に刊行された歌集という切り方をしても、同じ年に生まれた歌人たちというくくり方をしても、決してひとつの色にまとまるものではなく、それぞれ異なる世界を提示しているのは当然のことだ。また、世代でくくればある程度の傾向が感じられるのも、時代の影響をまったく受けずに歌を詠むということが不可能である以上、当然のことだ。
それが、永井の歌になったとたんに「世代」でくくって得られる仮の答えですべてを説明できた気になってしまうのは、日常語に近い表現という表面に邪魔されてその奥を捉えようという努力が安易に放棄されているからであるようにも筆者には思える。
批評会の中で瀬戸が「新しい『男歌』
」と述べており、また前述の澤村の「アンチの抒情
」という指摘にあったように、永井がこの文体を選択することで目指してきた方向は、決して諦観や順応ではない。
この歌集から見えてくるのは、一首単位で読んでいたときに見える、時代に翻弄されているどこか頼りない作中主体とは対照的な、「この文体を選択し、『何でもない日常の一コマ』と言われてしまうような場面を歌にし、歌集一冊を貫く強さを持った作者の姿」だ。
この文体を選択すること、その文体で日常を詠むこと、それを貫いて一冊の歌集にまとめること。いずれも、自らの感覚への絶対的な自信と意志の強さがなければ不可能なことだと筆者には思える。そういうことが可能な「強い」作者が、「閉塞した時代をありのままに受け入れ、それを是とし、そのなかで安穏と生きる」というような生き方をするだろうか。
どのような時代であったとしても、まさにそこで生きている以上、その時代の影響から逃れることはできない。東日本大震災以降、「以前であれば日常の一場面と受け取られていたような歌が震災の歌に思える」「日常の歌として歌会などに出した歌が震災詠として読まれる」ということを、(特に東日本に住んでいる)歌人の多くが経験したのではないか。その意味で、歌を読むという行為に対してこそ時代の影響が大きいのではないかと筆者は考える。
そしてまた、その時代その時代の歌の傾向は、作者に対して直接的に時代が及ぼす影響のほかに、読者に対する時代の影響(時代を反映した評価軸の影響)を反映したものでもある。さらに言えば、「時代」というものは、それぞれの歌人が何を詠むかということ以上に、「どの歌が(名歌・秀歌として)残されていくのか」というところに対して大きな影響を及ぼし、結果として「その時代の傾向」を成していくのではないか、ということをも考えさせられる。
ひとくちに「時代の影響」というときに忘れられがちな「読者に対する時代の影響」についても、頭のどこかには置いておきたいと筆者は思う。
*
批評会の最後に、永井自身は「あとがき代わり」として
わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる
を引いて、
写メールというのはすぐに死語になる単語だと思う。そう思って、この歌の「写メール」を「ケータイ」に変えてみたら、音数も言っている内容も全然変わらないのに歌が死んでしまった。ぴくりとも動かなくなった。
「写メール」の「しゃ」が「おしゃれ」の「しゃ」とかかってる、とか、期間限定の語だから、とかいう説明はできるかもしれないけれど、そういうことに触れられるのが短歌を続けてきた動機
であると述べていた。この先、永井がどのような世界を詠んでいくのか、同時代にいるものとして注目していきたい。
最後に10首選を。
寒い日に雨に当たればなお寒い冷たい石に座ればもっと
パチンコ屋の上にある月 とおくとおく とおくとおくとおくとおく海鳴り
リクナビをマンガ喫茶で見ていたらさらさらと降り出す夜の雨
ベルトに顔をつけたままエスカレーターをのぼってゆく女の子 またね
君と特にしゃべらず歩くそのあたりの草をむしってわたしたくなる
たくさんに気は散りながら教会のある坂道をどこまでもゆく
マイブームの小さな波がぼくのなか寄せては返すゆっくり歩く
会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね
いるんだろうけど家に入って来ないから五月は終わり蚊を見ていない