鳥取からの呟き
今年、鳥取への引っ越しが決まった時、私の頭には「砂丘」や「梨」といったイメージとともに、二つの計画が浮かんだ。計画というのは大げさかもしれないが、ひとつは作家、尾崎翠の墓参りをすること、もうひとつは「鳥髪」に足を運ぶことだ。
ひとつめの目当ての墓は鳥取市の中心部にあってすぐに見つけることが出来た。二〇代から三〇代にかけて清新な小説を次々と発表しながら、帰郷して音信を絶ち、文壇から消えてしまった尾崎翠。
『第七官界彷徨』や『アップルパイの午後』を楽しむのに、作者の人となりを知る必要はないと思いながらも、私は彼女の書かずに過ごした後半生がどうしても気になってしまうのだ。
こんな傾向(けいこう)を持つ私は、よく過去の私に遁(のが)れました。そして過ぎ去った私は、いつも、今の私よりどこか幸福だった気がします。……人間の幸福は過去にばかりある物ですね。追憶を通して生まれている昔の私ばかりが、いつも穏かな、些(すこ)しの不安もない顔をしているのです。今の私でも、何年かの後、追憶の濾過(ろか)に逢ったら、やはりどこか幸福の影(かげ)を帯びて来るかも知れません。
追憶によって生れた昔の幸福は、今の自分を幸福にしてくれるほど著(いちじる)しい力を持ったものではありません、けれどそこから幾分(いくぶん)の慰(なぐさ)めは来るようです。
尾崎翠『花束』
これほど透徹した認識を持った人が、書かなくなった後、自らのこの文章をどんな思いで読み返し、年を重ねていったのだろう。追憶がもたらす慰めを糧としていたのか、それとも日々の暮らしの中でそれとはまた別の喜びや楽しみを見いだしていたのか。
私自身、鳥取という周りに歌について語る人が誰もいない所にやって来て、生業と雑事の忙しさに追われていると、このまま沈黙することはひどく容易く思える。そして、書かなくても生きていけるということは、ひどく怖ろしいことのようでもあり、同時に救いのようでもある。
ふたつめの鳥髪行きはまだ果たしていない。私はこの地名を山中智恵子の代表歌によって知った。
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ
初めてこの歌を読んだ時、そこには幸か不幸か解説も添えられていたので、鳥髪が『古事記』ゆかりの山の名であることはすぐにわかった。高天原を追われた素戔嗚尊が降り立った地で、鳥取と島根の県境にある鳥髪山(現在の呼び名では船通山)がそれに当たるという。
だが、この一首を鑑賞する際に、古事記に関する知識は必ずしも必要ではないのかもしれない。鳥髪という言葉から私はカラスのように黒く光る豊かな髪と、そこに白い雪が降り積もるイメージを喚起された。そもそも『古事記』を読んでも素戔嗚尊が鳥髪に降り立った場面で天候に関する記述はない。作者の詩的な想像力が一首の景に不可欠のものとして雪を呼んだのだろう。
私がこの歌に心引かれつつも常につまずいたのは、「鳥髪」よりもむしろ「さらば」の一語のほうだった。たとえ今、雪が降っていても、明日も雪とは限らない。なのに、作者は当然のように「それならば、明日も雪が降るだろう」と言う。
思えば、初めてこの歌を知った二十歳そこそこの私はさしたる悲しみも知らなかった。その後、いくつかの別れや喪失があって、頭だけで理解していたことが腹に落ちるようになったのだ。
「行きて負ふかなしみ」とは「生きて負ふかなしみ」に他ならない。地上に生きる人が普遍的に背負う悲しみがあり、それは降り積もる一方で消えることはない。「さらば」に対する違和感が消え、この一語に凄みを感じるようになったのは私がそれなりに年齢を重ねたためだろうか。
まだ見ぬ鳥髪山に雪の降る様を思い浮かべつつ、悲しみの多かった年が終わろうとしている。