屠(ほふ)られる 網谷 厚子
真っ白いカーテンが張られたように 雨が降る 大気は
冷たく 震える 半畳ほどの葉や大木の幹を 激しく洗
い 少し遅れて やわやわとバナナの葉を揺らし 生き
物たちが棲む岩壁を打ち叩く 森羅万象が うっとり目
を閉じ 睡りに誘われる時間 わたしたちは 底魚とな
って 大きな口を開けて水に漂う 厚い雲がゆっくり動
き 真っ青な空が 刳りぬかれ 太陽の痛いような光が
ばらまかれる あらゆる緑が目覚め 深々と輝き出し
生き物たちの見開かれた瞳に また 屠られる恐怖が
浮かぶ 波のように背中をうねらせ 大地を駆けるよう
に 険しい岩肌を渡っていく 深い水の底から 矢とな
って飛び出す わたしたち まだ十分に目覚めていない
瞼を 光が 打ち叩く 幾度も 幾度も 生きることは
目覚めること そうして わたしたちもまた いつで
も屠られる生き物であることを 目覚めとともに 知る
痛みは 背中から脳髄へと まっすぐ上っていく わ
たしたちが創り上げるものは もし そう言えるものが
あったとしても ほんの一瞬で無くなるだろう 砂に
描かれた風紋のように 大自然の ほんの一吹きで そ
のとき わたしたちはまた 深く水の底に沈んで 大きな
口を開けて 眠るだろう 静かに 雲が動いていくのを
その気配を感じながら それから 水の外に飛び出し
前よりずっと頑丈な身体を創るだろう 大地や海底に
溢れる恩恵を 掘り出しながら それが蓄積するまでの
夢のように長い時間を 一瞬のうちに使い果たし 人
の心をもったアンドロイドを完成させる 決して挫けな
い 二度と過去を振り返らない 簡単には涙を流さない
強靱な精神の 人を超えた人が 均一に 滑らかに闊
歩する街 生身の人間が 屠られる生き物となって 怯
えて這いずり回り生きる それも 一瞬 粗大な燃えな
い塊と 異臭を発する肉体が 仲良く 夥しく湧き上が
る水に押し流され 海へと運ばれていく わたしたちが
氷の一粒となって 空間を漂うころ 凍り始めた太陽
が 空に貼りついている