私の好きな詩人 第12回 – 征矢泰子 – 荒川純子

 結婚を決めたとき、古風だった私の勤務先の「苗字が変われば別雇用」という条件に不満を持ち、私は退職を選んだ。それはデパガ詩人と宣言した私にとってデパートの詩はもう書けない、書かないという意味だった。結婚と同時に出産、毎日の育児は私から詩の言葉を失わせ、読む詩集のページをめくらせなかった。詩から遠ざかっていく自分にただ焦っていた。

 そんな時、片岡直子さんから頂いたハガキに「荒川さんと同じ気持ちでいた詩人がいるので読んでみたら」と征矢泰子さんのことが書かれてあった。私はすぐさま詩集を手に入れ、時間をみつけては読んだ。驚いた。そこには私と似た気持ちが詩になっていた。征矢さんも編集者という仕事を辞めて二人の子供を育てているときに、書きたい衝動にかられ、再び詩を書き始めた。私はこの時期に焦る必要はないことを知った。もう少しすれば私も何か書こう、何か書きたくなる瞬間が訪れるだろう、と希望と期待をもらった。今から8~9年前のことである。

 詩を読みすすめていくうちに征矢さんに私が似ているような気もしてきた。周りに誰かがいても大勢いても心のどこかで孤独を感じ、それを受け入れながらもどこかで自分の存在を知って欲しい、自分がここにいることに気づいて欲しい、そんな相容れない気持ちに苦しんでいるというような・・・征矢さんの詩はひらがなが多くやわらかい印象を受けるが、私と同じ状況を重ねながら読んだとき、切羽詰まったような息苦しさを言葉の奥に隠していると感じたからかもしれない。

 私の場合、詩を好きになるときは言葉に励まされたり、共感して安堵したり一緒に悲しんだりするときだが、詩人を好きになるときは詩もさながら自分との近さ、似た部分をみつけたときだと思う。私にとって征矢さんは詩も詩人としても両方私と合っていた。私は征矢泰子という詩人が好きだ。子供が大きくなり詩が少しずつ書けるようになった現在も、詩を書いているとたまに征矢さんを思い出す。詩を書くことを諦めないきっかけになった大切な存在を。

 詩を書く若い女性達が将来、結婚や育児で私と同じ状況や気持ちになったそのとき、片岡さんが私に教えて下さったように私も征矢さんの存在を彼女達に伝えたいと思う。そして私自身も私の詩も征矢さんのような存在になれたらと願いこれからも詩を書いていきたい。 

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