私の好きな詩人 第20回 – 吉行理恵 – カニエ・ナハ

猫と初恋(私の好きな詩人―吉行理恵)

「吉行理恵」 私の初恋の人の名前です。

と、「「立原道造」 私の初恋の人の名前です。」と書いた理恵さんのまねをして書いてみました。初恋の人は、べつにいます。

そもそも「初恋の人」と書きましたが、人かどうかうたがわしい。理恵さんはじつは猫なんじゃないかなと、わたしはうたぐっています。

それにしても猫好きのひとはどうしてこうもみな猫に似ているのでしょうか。

写真を撮られるのなど大嫌いにきまっている理恵さんです、写真のなかの理恵さんはいつもぎこちない表情をしていますけど、猫をだっこしている写真だけはとくべつで、ひなたの猫のように、ほっこりとほほ笑んで、その表情はまことの猫にそっくりで、じいっと眺めているうちに、理恵さんが猫なのかだっこされている猫が理恵さんなのかあいまいになるようなこころもちがしてきて、ましてや理恵さんなのか猫なのかあいまいな理恵さんあるいは猫さんをみているわたしすらひとなのか猫なのかあいまいになってきて

眼をさます と
ミルクを飲んだ
う、めえ…… と鳴いて
もう 眠ってしまった

(「猫の一日」全篇)

わたしたちの平均睡眠時間は十五時間です。
よく寝る子なのでわたしたち寝子とよばれます。「猫の他に書きたいことがない。」などと書いたりする理恵さんです、「私には親しい友だちが一人もいない。普段は疎遠でも会うと打ち解けて話せる知人が何人かいる。その人たちは異常なほど猫好きだ。」とも書いておられます、猫も猫好きもさみしい、さみしい、それはわたしたちです。

それはさみしいわたしたちです、眠っている理恵さんのことをおもいます。
(寝子の理恵さん!)
眠っているひとのかおは幼くて、なおさらまことの猫によく似ております。
(理恵の寝子さん!)
窓からさしいる月あかりにてらされると少女なのか死んでいるのかあいまいですが、やがて月あかりをさえぎって

雲。
理恵さんといっしょに暮らしているそれは猫の名前で、エッセイにもでてくるし、小説にもでてくる。詩にもでてきたかもしれない。猫はみがるな雲なので垣根をひょいととびこえて、あっちとこっちを行ったり来たりする、わたしの好きになるひとはみなことごとく猫好きで、そのひとと午後のほそい路地をならんで歩いているときにあんのじょうまことの猫がとおりかかると、わたしたちは目的地を忘れて、まことの猫のあとをつけていき、逃げ猫に追い猫。ジブリ映画「耳をすませば」みたいに、それはやがて素敵な骨董屋さんにたどりついたり、ときには異界へとつうじていたり、もともとの行き先にたどりつくことはおろか帰ってくることさえあやうくなったりして、それは理恵さんの詩や散文をよんでいるときとおなじ歩行の足どりの、白昼のまことの夢ですが――

やがて 夢を見ることをしなくなって
私は 私の影につまずいてしまいそう
忘れかけていた頃に 黄色い猫と出会った
光を切り抜いて遊んでいた鋏の持ち主の落し物かもしれない

 (「猫のつけた灯」全篇)

この鋏の持ち主はティム・バートン監督の映画「シザーハンズ」の主人公エドワード・シザーハンズさんみたいに両手がハサミでできていて、あいするひとを抱きしめることができない、さみしいひとなのかもしれない、そのひとも猫好きでさみしい、理恵さんのことをきっと好きになるとおもう(ぼくの手は月と鋏でできていて、初恋のひとは猫でした。

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