私の好きな詩人 第22回 -入澤康夫- 瀬崎 祐

 ある詩人を好きになるのに理由はいらない。入澤康夫。しかし、これは正しい言いようではない。入澤康夫の「帰還」が私の好きな詩なのだ。好きな詩である「帰還」を書いたのが入澤康夫なのであって、彼は私の好きでない詩もたくさん書いている(そんなことは、彼にとっては大きなお世話だろう。ははは。)書く詩がみんな好きであるような詩人なんて、いない。

 それはともかく。私が見よう見まねで詩を書いていたのは、浪人をしてなんとか入学した大学がバリケード封鎖をされている頃だった。「現代詩手帳」の投稿欄に自分の名前を見つけては嬉しがっていた。「現代詩文庫31 入澤康夫詩集」を購入したのもそんな頃だった。なにしろ見よう見まねだから、お手本が必要だったわけだ。

 詩集「倖せ それとも不倖せ」のあっけらかんとした開放感も好いし、詩集「夏至の火」や「古い土地」の物語世界も好い。しかし、なんといっても偶然に見つけた作品、「帰還」なのだ。

 この作品は「現代詩文庫」では拾遺詩篇・未刊詩篇の項に収められていた。その後の詩集のいずれかに収められたのかどうかは知らない。

 「手を振ることが ここで一番自然な行為であるとしても
 それ自体何の役にも立たぬことを知らねばならない 突
 然襲いかかった死でこれがあるというなら 死はつねに
 突然の嵐に類している」(冒頭部分)

 このように、物語はすでに始まっている。”ここ”とはいったいどこのことだろう。読む者は作品に遅れてやって来たのだ。だから、わがままを言う暇もなく作品世界を受け入れなければならない。”手を振る”という行為は他者への合図の意味を持つわけだが、そんな行為は”ここ”では無意味なのだ。そして、それは突然の死なのだという。嵐の中で激しく手を振っているイメージが私(瀬崎)をうっとりとさせる。

「坂を登る時 風は硫黄の匂いがした それから遠い太鼓
 のすり打ちのようなものを聞いた あの人のレインコー
 トが旗のように闇の中に翻って消えた 目をとじてわた
 しは走っていった そうして そこが街だった」

 その頃の私にとって、詩を書くのはとても苦しいことだった。言葉が自分を締め付けてきた。言葉から自由になることなど、とてもできそうになかった。しかし、この「帰還」にあったのは、言葉を発する所以のような部分が自由になれる世界だった。本当の詩人が書く詩の世界というのはこういう自由なものなのだ、と思った。肉体をともなった自分とはまったく異なる位相に構築される世界がそこにはあった。

「わたしは悪い夢を見ていたのだ たしかに風はここでも
 かすかに硫黄の匂いがする だが 今わたしは自分のと
 りもどした限りのない美しさを知っている」

 しかし、私はその自由さを手に入れることは、結局なかった。高校生時代から十年間ぐらい詩を書いたあと、その世界からは遠ざかってしまったのだ。

 それから二十年近くが経って、私はもう一度、詩の世界に”帰還”してきた。それは(当然のことだが)まったく別の物語である。今の私は、ビルの屋上の東のはずれから見わたすような世界を、そこで始めて自分の存在を確認できるような世界を、求めている。

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