わたしの好きな詩人 第50回 – 中谷泰 – 小池田薫

 以前、新人賞のようなものを頂いて以後、知らない人から詩集や同人誌などをいただくようになった。大変ありがたく、自分なりに丁寧に読み感想や礼状を送った。一冊の詩集に向き合うのに数時間では足りず、いつの間にか机の上には順番待ちの山ができた。

 わたしはもともと現代詩を読むのが得意ではない。ほとんど現代詩を読まずに書き始めたからかもしれない。その後、必要な時と自ら欲した時のほかは何もしないことにした。結果、届くものは直接付き合いのある限られたひとからのものだけになった。

 詩人といっても、ほとんどはいち社会人。わたしの場合、専業主婦だ。退屈だけど、家事を極めるのも結構気に入っていて、決して暇ではない。そして、わたしは切り替えが下手だ。一日のうち「詩」が頭をよぎるのは、人参を刻んでいる時に限られる。子供が幼稚園から帰ってきたら、もう一切詩のことを考えることはない。

 前置きが長くなったが、要するに好きな詩人を考えるに、選択の幅が大きくはないということを、断っておく。けれど、この原稿依頼を受けた時には迷いなく、たった一人が浮かんだ。

 中谷泰さんは、石川県津幡町在住の詩人。高校の国語の先生だ。わたしも高校生の時、古文を教わった。その後、詩誌「笛」の同人として再会。歳はひとまわりくらい上だが、同人としての付き合いが続いている。中谷さんが詩を書き始めた正確な時期は知らないが、笛に加わったのは96年、99年にふらんす堂から詩集「旅の服」を出している。その後に詩集の出版はないが、笛での発表はほとんど欠かすことがない。石川詩人会が毎年行なっている「現代詩コンクール」でも入賞をかさねている。でも、知名度が北陸を超えることはあまりない。

 中谷さんの詩は、読みやすいというほど平易ではない。でも、読み手を拒むような難しさはない。むしろ、読み手を常に意識して書かれている。「生きる」ということをいつも苦しみながら模索している。「目的」を探しているのではなくて、「目的」から自由になるために。

 北陸、特に石川県民は虚勢というのを嫌う。ひたすら淡々と自分の腕を磨く職人気質が強い。中谷さんもそんなひとりのように感じている

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