私の好きな詩人 第69回 ― 渡辺玄英 ― 榎本櫻湖

 なぜだかはわからないが、二度目の「好きな詩人」の原稿依頼がくる。前回は中本道代について書いた。むろん読めばすぐその詩人が好きになってしまう移り気で恋多き乙女である私には、好きな詩人がたくさんいる。だからいっこうに二度目の依頼がこようとも困った話ではないのだが、どうも私にはこの役目は適任ではないような気がするのだ。週ごとに更新される「好きな詩人」のページを眺めていると、なにやら戦前の大詩人や故人だったり大御所だったり、シュルレアリスムの大家であったり、以外にも、現代の詩人、たった今活動している詩人についての言及が少ないように思えて、それはもちろん複雑な大人の事情が絡んでいるのであろうことはわかっていながら、前回も書いたように戦後詩すらまともに読んだことのない私は、圧倒的に知識や読書経験に乏しく、好きな詩人を問われても、たった今活動している詩人しかあげることができないのだ。それではあまりに説得力がなさすぎるのではないか。

 それでもこうして依頼をうけたからには、原稿を書かなければならない。

 さて。今回は渡辺玄英のあるふたつの詩について、少し個人的な話をしたい。その詩は彼の第五詩集『けるけるとケータイは鳴く』の一番最初と一番最後に収められている。あとがきによるとどうやらこの詩集にはある新聞の企画で、書かれた当時に起こった事件、出来事に触発されて執筆された詩篇が多数、収録されているらしい。

 そのなかで私があげたふたつの詩篇のうち後者「闇の化石」はいじめ、自殺をテーマに書かれていて、前者「ココロを埋めた場所」も、そのように読める。

 私事で恐縮だが、中学を卒業して、受かっていた高校の入学式の二日前に進学しないことを決意し、爾来こうして廃人生活を送っているわけだが、高校に進学しないことを決めたのには理由があって、端的にいえば、「死なないため」であった。その頃には自身の性別に違和感を抱え、また醜形恐怖というのだが、容姿に対しても、過剰なほど自己評価が低くて、当時、進学すればいじめられないわけがない、自殺しないわけがない、と思いこんでいた。実際どうなったのかはわからないが、私には選択肢などなくて、死なないためには高校へ行ってはいけない、その心情は頑なで、今でさえ、あのときの選択を誤ったとは思ってはいない。

 中学時代、人づきあいが苦手で、多くの人と趣味や話題を共有できず、教室でもいるのだかいないのだかわからない生徒であった私には、学校生活など不向きだと感じていたし、とても孤独で、居場所がなくて、そんな人はいくらでもいることくらい頭ではわかっていても、私は私の苦しみを抱えてむきあうしかなかったのだ。しかも当時男子生徒だった私は同じく男子生徒に恋をし、それが広まって異端視されるようになった。よくわからないやつであった私は、そのうえ変態になってしまった。「闇の化石」には、そうした理不尽に圧し潰されそうな私が描かれてある。

 何度自殺を考えたことだろう。恒常的な自殺願望。それは今でも根強くあるのだが、「ココロを埋めた場所」にあるように、当時、ビルの屋上(私の場合は九階のマンションの廊下だったが)へ行って、そこで夜空を見あげて絶望するのだ、この詩の「ボク」は、まぎれもなく私なのだ。

 今回、敢えて作品から引用はしない。それぞれの詩の持つ空気感、とでも言おうか、重要な部分は、引用しただけでは伝えられない。どこを引用しても不十分だから。ぜひ、実際に手にとってこの二篇を読んでいただきたい。そこに、あなたの忘れたい過去は、消したい過去は、ありますか。

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