短歌時評 第10回 松野志保

流れてゆく時間の中で 松野志保

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり 小中英之

 はかなく消えていくものにそそがれるまなざし。

小中英之の代表作ともいうべきこの一首を、私はずっと以前から知っていて、特に何の疑問も抱かず、分かったつもりになって読んでいた。それが本当は分かってはいなかったということに気が付いたのは、はからずも三月の震災がきっかけだった。

 岩手県の沿岸を走る三陸鉄道に島越(しまのこし)という駅がある。所用があって降り立ったのはもう一〇年以上前のことだ。二つの岬に挟まれた小さな湾に面して高架の線路とホームがあり、青いドーム型の屋根と白い壁のかわいらしい駅舎が建っていた。

 ホームから見下ろすさほど広くない砂浜は海水浴場になっていた。駅を出たところにささやかなシャワーと更衣室が設けられていたが、遠くから観光客がやって来るというよりも、地元の子どもたちが泳ぎを楽しむ場所だったのだろう。私が訪れた時はまだ夏のはじめで、海辺に人の姿はなかった。岩手の海水浴シーズンは短くて、七月下旬の梅雨明けから八月のお盆までの約一ヶ月ほどなのだ。人気のない小さな駅と砂浜は、まるで童話の一場面のようだった。

 何もかもを過去形で語らなければならないのは、島越駅が津波によって全壊してしまったからだ。コンクリート製の高架橋さえもがなぎ倒され、流されたという。あの日、私が駅に降り立って目にした風景は、虹のようにやがて消えてしまうものだったのだ。

 震災の衝撃の大きさゆえに、何もかもをそこに引きつけることが癖になってしまってはいないかと危惧しつつも、もう少し考えてみたい。

 そもそも駅頭での虹との短い邂逅は印象的な出来事ではあるけれど、普通だったら、しばらく心に留めた後、もしくは近しい人にでも話して聞かせてから、やがて忘れてしまう程度のことではないだろうか。しかし、小中英之は虹を目にした時の、もしかしたら虹よりもはかない心の動きを、かけがえのないものとして一首に掬い取ってみせた。それが、震災の後に、島越という地名を思い出し、かつてそこで見た風景とそこで過ごした時間が実はかけがえのないものだったと知った私の心に響いたのだ。

 さらさらと砂がこぼれ落ちるように時間が過ぎていく中で、歌はある一瞬を切り取り、その時の作者の心の有り様を永く灼き付ける。それが、異なる時間、異なる場所にいる読者の心の有り様と重なった際に、「分かった」「これは自分のことだ」という感覚をもたらすのだろう。

 島越の駅前だった場所には、宮沢賢治の「発動機船 第二」を刻んだ詩碑だけが残されているという。海岸線に対して直角に建っていたために、波の力をまともに受けずに済んだらしい。

沖はいちめんまっ白で
シリウスの上では
一つの氷雪がしづかに溶け
水平線のま上では
積乱雲の一むらが
水の向ふのかなしみを
わずかに甘く咀嚼そしゃくする

 これから島越を訪れる人はこの詩碑を見て、「水の向ふのかなしみ」をしみじみと噛みしめるはずだ(「甘く」というよりは苦く、辛い咀嚼になるだろうけれど)。

 宮沢賢治といえば、震災の直後から、ずいぶんいろいろなところで「雨ニモマケズ」を目にした。被災者を励ますために朗読され、復興を論じる新聞紙上に取り上げられ、さらには被災地の授業や卒業式でも読まれたようだ。激励の短歌や俳句を募集する動きがあるが、人々を励まし、慰めるために必要な言葉はもうずっと以前から用意されていて、新たな詩歌は別に必要ないのではないかとさえ思う。

 それでも、あれほどの災害の後も再び時間はさらさらと流れてゆき、その中で、言葉にして留めておきたい思いがあって歌は作られていく。それを読んで、「ああ、これは私のことだ」と感じるのは、今回の震災とは関係のない状況にいる人なのかもしれない。

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