短歌時評 第11回 生沼義朗

震災と祝詞とホームレス歌人

 3・11、つまり先の大震災以降、今、なぜ詠うのか。そして誰のために詠うのか。あらためて問われている。
 だがそれは大震災があったからというより、3・11以降、特に新聞歌壇に大震災に関する歌が大量に表れたことによる、と敢えて言っておきたい。

 もともと短歌には、ある共同体ひいては社会全体にエネルギーをあたえるための祝詞としての機能がある。と同時に、自分自身に対する祝詞という側面もある。自分自身を鼓舞あるいは慰撫することを通して社会へ何かを発信する、と言えばよいか。そしてその受け皿として新聞歌壇がいつもに増して機能している。極言すれば、新聞歌壇は祝詞の器として特化されたものでもあるからだ。

 藤原龍一郎が本サイトの「日めくり詩歌」の欄で、新聞歌壇の掲載作品を集中して取り上げている。個々の作品をここで繰り返し取り上げることは控えるが、体験に基づくリアリティが歌にボディをあたえている。その重みと切実さが祝詞の所以であり、生命線となるのだ。いわゆる報告詠とは一線を画する。なかでも注目したのが、6月10日分に掲載された、

「蕗の薹詠みたる人の住める町大船渡市に思いをはせる」という四街道市の平山健さんの歌も入選している。そして、その歌への選者の短評は「三月二一日のこの欄にのった増田邦夫さんの歌。読者は、住む町の名前さえ覚えている。短歌は人と人をつなぐ。」というもの。新聞歌壇というものの特性を述べている。

 という文章である。掲載元は4月18日付の読売歌壇、選者は小池光。新聞は雑誌とは比べ物にならないくらいスケールの大きい公器だから、このような反響ももちろん出てくる。祝詞を献じられた側が、返信として祝詞を返す。このような声のクロスは新聞歌壇で顕著な現象である。そしてこの現象は時代の必然なのである。

 話変わって、1年くらい前、こんなことがあった。
 あるところで知り合った方が、「私は別にいわゆる歌人の評価が欲しいと思わないし、上達もさほど考えていない。ただ、死ぬまでに自分の作品を家族に残せればいい」なる旨のことを話していた。
 そのときの筆者の率直な感想は、全く予期しない方向からボールが飛んできたというか、目からウロコが落ちる思いが頭の片隅にあった。広範な、いわゆる読者を規定せず、純粋に自分あるいは近しい家族のために詠い、作品を残す。それで充分ではないかとも思う。立派な祝詞である。
 一方で、作品の出来や技法的観点からの評価は厳しくあるべきなのもまた当然の理である。先の発言が修辞的上達や研鑽を回避するための方便に堕することがあってはならない。だがエキスパートと素人の線引きを、修辞的成熟の観点に置きすぎたのもまた事実だったのではないか。つまり〈何を詠うか〉と〈如何に詠うか〉が必要以上に切り離されてはなかったか。正直、作歌動機ゆえのパトスと修辞、そのどのあたりにウエイトを置いて読むべきか、筆者のなかでかなり揺らいでいる。これも3・11にまつわる歌が新聞歌壇に出て以降の話である。

 ここで三山喬著『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所)を読んでみる。二年ほど前に話題となったホームレス歌人・公田耕一をめぐるルポルタージュだ。公田は2008年末から約9ヵ月の間、朝日歌壇に投稿し常連入選者となる。その際の住所表記が(ホームレス)と記されていたこともあって、多くの投稿者が彼の歌を詠み、投稿した。先程挙げた返歌という現象が近年では最も鮮やかに現れた事例と言っていい。
 著者である朝日新聞の元記者である三山は、その公田の正体と足跡を丹念に追い、様々な関係者に話を聞く。筆者も公田をめぐる現象は聴き知っていたが、細かい経緯は知らなかったので、興味深かった。このようなルポが公刊されることを、歌人のひとりとしてまずよろこびたい。
 紙幅の都合で本書の内容の詳細については触れない。ひとつだけ述べておくと、公田の存在については虚構説もあるが、三山は否定的だ。筆者も虚構説には頷けるし、真偽について興味はあるが、その論議にあまり意味はないだろう。
重要なのは、どちらにせよ公田耕一という存在そのものが実際に祝詞の器として機能したことである。事実にせよ虚構にせよ、リーマン・ショック直後という時宜もあって祝詞を受ける器となり得た。公田自身が朝日歌壇読者の祝詞の対象となることで、ホームレス歌人・公田耕一が完成したのである。まさに読者の願望や期待といった感情を託しやすい存在だったのだ。つまり、読者の数だけの公田耕一像がある。
 結局三山は、公田と接触することはできず(公田と電話で話したと言う人と接触はできたが)、その正体も分からなかったが、これはこれでよかったのだろう。事実をつまびらかにずることでその像を壊すのも違うと思うからだ。このあたりは多くの人が指摘していることで、筆者にも別に格別の見解はない。
 ただ、どうして公田耕一という存在が短歌を引っ提げて登場し、多くの反響を得たか。そこのどのような意味があったかを興味本位でなく自分の問題として多くの人が考えることは多くの人が行っていいと思うのだ。

 『ホームレス歌人のいた冬』は今年3月初版発行で、6月5日の段階で9刷である。この数字も単なるスキャンダラスな興味ではなく、一種の祈りの現れなのだろうと思う。
 ともあれ、多くの人が祝詞を欲しているのは間違いない。
 それが幸福な世界かと問われれば、決して首肯はできないのだけれど。

執筆者紹介

生沼義朗(おいぬま・よしあき)

1975年、東京都新宿区生まれ。1993年、作歌開始。現在、「短歌人」[sai] 各同人。

歌集に『水は襤褸に』(ながらみ書房・第9回日本歌人クラブ新人賞)、共著に『現代短歌最前線 新響十人』(北溟社)。

活動状況については祭都 生沼義朗短歌エリア参照のこと。

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One Response to “短歌時評 第11回 生沼義朗”


  1. あがさクリスマス
    on 8月 1st, 2011
    @

     私も被災地愛の短歌100首、詩「荒野の月」を楽天で発信しております。
     これからも被災地のためによろしくお願いします。

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