短歌時評 第13回 斎藤寛

読みの革新、思想の保存

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

 塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』(1951年)の巻頭に置かれた歌である。

 僕はこの一首をさほど難解な歌とは思わず、芸術至上主義の高らかな宣言として読んでいた。すなわち、「革命歌作詞家」とは「革命」という「政治」に奉仕する自称芸術家、「芸術」よりも「政治」を上位に置く者の喩であり、それに対して「ピアノ」は純粋な芸術の喩なのであろう、と。

 だから、「革命歌作詞家」は、意味に限って言えば「反革命歌作詞家」でもいいのだが、世の中に「革命歌作詞家」のたぐいはたくさんいても「反革命歌作詞家」を探すのは難しい、というのが1951年という時代であったのだろうし、塚本が批判的に関心を抱く対象は、やはり何としても「革命歌作詞家」であっただろうと思う。

 私は「革命歌作詞家」のような存在ではないし、そのような存在であることを欲しない。私の芸術は一切の「政治」に奉仕しない。芸術はそれ自体の存在において、ピアノに象徴されるような至高の価値を持つ、と塚本は宣言していたのだ、と僕は読んでいた。思えばスターリン批判の5年前に刊行された歌集であった、というようなことも、僕にとって塚本の名を深く印象づけるものであった。

 芸術至上主義とまで言うか否かは措くとして、この歌のおおかたの読み方は、「一首の主題は革命歌への侮蔑、すなわち革命への侮蔑である」(三枝昂之『昭和短歌の精神史』本阿弥書店 2005年)という方位へ収斂するようなものであったと言ってよいだろう。

 ところが、その後、この歌について別様の読み方が提示されるようになってきた。

 「京大短歌」の「一首評の記録」のサイト(2006.2.1)で、下里友浩は「スポットライトのもとで腕組みをしている、この『革命歌作詞家』なる奇妙な人物は、まず塚本自身の自画像であり、一首は短歌を主題・喩法・韻律の面から、改革しようという宣言であろう」と記している。

 下里はメモ書きのようにして卒然とこのように記していたのだが、さらにその後、加藤治郎が同様の読み方を丁寧に提示したのだった。

 加藤もまた、「革命歌作詞家」は塚本邦雄その人であろう、と読む。さらに、「ピアノ」は短歌であり、「液化」は否定的なイメージではなく「実に魅力的」な「耽美的な暗い喜びに充ちた情景」であると読み、この歌は、「近代短歌は枯渇した。今こそ、短歌を蘇生させなければならない。革命歌作詞家が舞台に上がった。彼が凭りかかると、ピアノは液体となり再び流動する。革命は今、始まったばかりである」という塚本の短歌革新の宣言の歌なのだ、と読んだのであった(加藤「前衛短歌という栄光」=角川「短歌」2008年9月号)。

 青磁社のサイトに掲載されている吉川宏志のブログ(2008年10月12日)で、吉川はこの加藤の文章を引き、二、三の疑念や保留点を付けながらも、加藤の読み方を否定することなく、傾聴に値する問題提起として受けとめている。

 吉川が記していた疑念や保留点は、「凭りかかられて」や「作詞家」という語は、加藤のような読みによって一首のシーンを想定した場合、必ずしもうまくそぐわないのではないかということや、また、この一首を含む一連(「未来史」、就中「平和について」10首)の中にこの歌を置いて読んだ時、加藤のような読み方には無理が生ずるのではないか、というようなことであった。この後者の指摘は、6月24日のこの欄でふれた花鳥佰の問題提起(一首のみならず、一連、一冊を「誤解して」読まれたときに作者はどうするか)とも、問題設定の文脈はねじれながらも、呼応しあうものだろう。

 だが、この一首を独立した作品として読むならば、読み方の幅は相応に広いものになってもよいはずだ。吉川は、そうした観点から言えば、例えば「液化」という語には、今なら映画のCGによって美しくて強いイメージが付与されていると言い、「現在のイメージを、過去の作品に遡及させることについての是非はあるけれども、塚本邦雄の一首を、昭和20年代に読んだ読者と、CGの映像が蔓延している現代に読む読者では、感受の仕方に非常に大きな差があらわれるはずである。私たちはもはや60年前の〈眼〉に戻ることはできない。その感性の違いは、たしかに歌の読みを大きく変えていくだろう」と記している。

 僕はまことに世間知らずで吉川が念頭に置いているらしいCG群を知らないし、また、特に今年の場合は「液化」という語からあの「液状化」というマイナス・イメージの事象を連想してしまう、という方へ思いは傾く。

 その限りで言えば、僕は加藤の読み方を共有せず、やはり、「革命歌作詞家・・・」の一首は、「革命歌作詞家」に否定的なニュアンスを割り振ったうえでの塚本の芸術至上主義宣言の歌だろう、と頑固に(?)思うのである。

 だが、そうは言いながら、加藤のような新たな読みの試行や、それを受けとめている吉川のような批評は、存分に存在意義を持つものだ、とも考える。

 作者の死後、その作品について新たな読み方が提起された場合、作者は、どのようなかたちであれ、それについて発言することはできない。

 しかしもし仮に、あの世へ通じるホットラインがあったとして、塚本に加藤のような読み方についてどう思うか? と聞いてみたとしよう。塚本は、そういうのは「誤読です」とか「誤解です」とかいうふうには決して答えないだろう、と思うのだ。おそらく、加藤のような読みは作者の作意とは違うものだろう。(と僕は思うが、もちろんそれもわからない。あるいは、君は歌には一義的な「作意」がある、と信じているのかね? とあの世の塚本に問い返されるかも知れない。)だが、ともあれ、従来の読み方とは異なる新たな読み方が提起されたことを、塚本は喜ぶのではないだろうか。

 「革命歌作詞家」という語は、おそらく、1951年の時点では加藤の読みのようなものとして理解されることが一般的だったわけではないだろう。「液化」もまたしかり、なのではないかと思う。だが、加藤の読みは、一首の中で何か重要な点を読み落としていたりするものではない。それぞれの語に新たな光を当てて読み直すことによって、一首の構成自体について新たな読み方を提示するものであった。

 このようにして、作品は「古典」となってゆくのだろうなあ、というのが僕の率直な感想である。もし、今後、例えば「液化」と言えば間違いなくプラスのイメージの語として流通するような世になってゆくとしたら、加藤のような読みに共感する読者は増えてゆき、マジョリティーと化してゆく、ということも十分に想像される。その場合、この歌が詠まれ、発表された時代と社会の中ではかくかくしかじかの読み方がなされたことでしょう、それはそれとして古典研究としては重要ですが、今、私たちはそうした読み方にとらわれずに、この時代と社会の中では、当然、それとは別様の読み方をしてもよいのです、などというレクチャーが付されたりするのではないだろうか。

 そして、あの世の塚本はむしろ喜ぶのではないかと思う最大の理由は、加藤のような読み方によって、一首の意味上の構成に大幅な変更が生じたとしても、それを詠んだ作者の立つ場所、作者の思想そのものには変更が加えられていない、という一点である。

 「革命歌作詞家」は、おそらく作者の当初の作意においては批評の対象であっただろう、とやはり僕は思う。その類の者を批評することにより、芸術至上主義のスタンスが詠われようとしていた。それに対して、加藤のような読みは、「革命歌作詞家」を作者自身と読むことによって、他者への批評を介さないストレートな芸術至上主義の宣言の方位へこの一首を読み直した、と受けとめることもできるのではないだろうか。

 このあたりが、前回の拙文(6月24日)でふれた、彦坂美喜子の小池光の一首に対する読みとは大いに事情が異なるところだろう、と思う。歌を、歌そのものに即して真摯に読み込む限り、大きな読みの転回が生じたとしても、それによって作者の思想そのものまでもが大きく転回して解されるようなことにはならない。作者の思想は、新たな読み方のもとにおいても保存されているのだ。

 こうした事態を可能にするものこそ、歌の韻律、歌の言葉の持つ力なのではないか。その力はまことにおそるべきものであって、作者の死後も、なおそうした力がいっこうに減衰したりすることのない作品こそが、「古典」として生き残り、それぞれの時代に応じた新たな読みを付与されながら、読み継がれてゆくことになるのではないか。改めて、そんなことを思ったのだった。

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