短歌時評 第15回 松野志保

五年後の『バグダッド燃ゆ』

       

 オサマ・ビンラディン死亡の報に接し、岡野弘彦の『バグダッド燃ゆ』を本棚から引っぱり出した。

ひげ白みまなこさびしきビンラディン。まだ生きてあれ。歳くれむとす

 この歌集の出版が契機となって歌壇では、社会詠とはどうあるべきか、さらにはそもそも社会詠というものがあり得るのかを問う「社会詠論争」が巻き起こった。あれから五年、イラク戦争から数えればすでに八年が過ぎたことになる。ある時期は世間の耳目を一身に集めた人物でありながら、東日本大震災の陰に隠れて、ニュースにおけるビンラディンの死の扱いはずいぶん小さかったように思う。

 社会詠論争の発端となった小高賢の評論「ふたたび社会詠について」も併せて読み返し、そこに述べられた、現代における社会詠の困難については当時も今もおおむね同意しながら、論争の渦中ではまったく問題にならなかったある些末な箇所に、私はどうしても躓いてしまう。冒頭に挙げた一首を含めて『バグダッド燃ゆ』からいくつかの作品を引いた上で、小高は次のように書いている。

私たち日本人の心情がよく出ている作品だ。アメリカをまったく支持していない。(中略)ビンラディンに心が傾いている。

「私たち日本人の心情」と一括りにされているが、私が共有できるのは、空爆されるバグダッドの人々への思い、アメリカのやり方への批判までであり、ビンラディンについて「心が傾く」と言えるまでの肩入れは出来なかった。だからこそ、冒頭の一首に衝撃を受けたのだが。

 岡野弘彦が「ビンラディン。まだ生きてあれ」とまで歌う理由は、次のような一首に見て取ることが出来るだろう。

焼けこげて 桜の下にならび臥す むくろのにほふまでを見とげつ

 かつて空襲によって焼けこげた死体をその目で見て、その匂いを嗅いだ体験を持つゆえの、アメリカへの怒りであり、それに抗するタリバンへの肩入れなのだ。

 現代の社会詠の困難について、小高賢の「ふたたび社会詠について」から再び引く。

自分の戦争体験を重ね合わせて、現代の悲劇をうたいあげた岡野作品に共感、同感することは多い。しかし、どう考えても、対象や主題に対しての感慨や視線は外部からのものである。(中略)岡野にかぎらず、現代の社会詠は、外部に立たざるをえない。立たなければ歌えないことも事実なのである。誠実であればあるほど、そうなってしまう。

 私は積極的に社会詠を作ろうとしたことはないけれど、自分が外部に立って歌を作ってしまっていると感じることは確かにある。それに対する確たる処方箋などあるはずもないのだが、ひとつのヒントとして印象に残ったのが、5月26日の朝日新聞に掲載された高橋源一郎の論壇時評「非正規の思考」だ。その中で、パレスチナ人作家カマール・ハラフの「はっきりと、シリアの体制を支持する」という刺激的なタイトルのコラムが紹介されていた。

 昨年から続くアラブ諸国の民主革命において、一般的にはシリアの体制も「圧政を続けていて打倒されるべきもの」と位置づけられている。しかし、カマール・ハラフは、故郷を逐われたパレスチナ難民にとって、自分たちの権利を認め、尊厳を持って暮らすことを可能にしてくれたがゆえにシリアの体制を支持すると表明したのだ。高橋源一郎はこのコラムをふまえて、「若者たちのアラブ民主革命」という美しいイメージが固定化し、新たな「体制」となっていくことの危険性を指摘してみせる。

 誰かにとって正義が別の誰かにとっては悪となるなんて至極当たり前のことなのだが、この問題に関する限り、高橋源一郎とカマール・ハラフの文章によって不意打ちされるまで、私はそれに気づけなかった。

 つまり何が言いたいかというと、外部に立ちながら歌わざるを得ないとしても、自分にとっての外部=他者の声に耳を傾けながら歌を作りたい、そして、詩歌を読むことによって予期せぬ他者の声に出会いたいと思ったのだ。

 ビンラディンの思想やテロという手法は、アラブの民主革命によって、その死を待たずして過去のものになってしまったとも言われている。今、冒頭の一首をあらためて読むとさびしい墓標のようにも見える。 

タグ: None

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress