短歌時評 第22回 斎藤 寛

不気味な歌、あるいは穢れた歌

「時評」の範囲からは外れるかも知れないが(第13回のこの欄の拙文も外れておりました。あいすみません)、「短歌人」2009年4月号(70周年記念号)に掲載された座談会「今、短歌をつくるということ」(内山晶太、斉藤斎藤、本多稜、司会・藤原龍一郎)の中盤で、内山が「私にとって短歌は『生き方の理想形』というようなところがあるかもしれません」と言い、「ちょっと性急な意見ですが、文語は人を理想に向かわせる何かがあるんじゃないんでしょうか」(内山)「文語は理想の足場になるんじゃないか」「現実からすこし離れたところに、ある種の理想的な空間を固定化させている人というのは、多い気がするんですが」(斉藤)「唐突ですが、なんというか穢れなく生きたいという気持ちが、若いころには特に強くあったように感じます」(内山)「完全に穢れなく生きられたとして、それは正しいのかという疑問もある」(斉藤)「短歌というのはそういう意味で穢れなく生きようとする意思をかろうじてつなぎとめてくれるような部分があるんじゃないか[~中略~]きれいごとが通用しうる最後の文藝ジャンルではないかと」(内山)というような話の展開になってゆくくだりに僕は「?」マークを付けた。その「?」マークは今なお消せないまま残っている。

このやりとりは主として内山と斉藤の間でかわされていて、本多はあまりそこに絡んでいない。本多は内山が「理想」という言葉を出したのを受けて、「生き方の理想と短歌の理想が同じとは限らないが、歌によって人生が美しくなるということがない訳ではない」と言い、「理想」という言葉を「美」という言葉に“変換”し、さらに「…ない訳ではない」という言い方で猶予をつけている。そのような言い方なら、僕の「?」マークは消える。藤原は司会役に徹していてこの議論の中味には参加していない。

それで、その内山と斉藤のやりとりなのだが、どうして短歌という詩型について語る時に「理想」という言葉やら「穢れなく生きたい」という話やらを持ち込まなくてはいけないのだろう? 「理想」と言ってしまうと、それは「理想・対・現実」という二項対立の思考の磁場を引き連れてきてしまう。事実、内山と斉藤のやりとりは、この二項対立図式の上でなされているように読める。また、「穢れ」と言えばそれは「差別」という事象の根っ子に存在する概念だ。ひとは同類の他者の(あるいは自分自身の)何を「穢れ」とみなすのか、というのはとても大きな問題で、「穢れ」などという言葉はそうそう簡単に口にすべきものではない、と僕は思っている。 が、ここでのやりとりはそうした問題圏を射程に入れたうえでなされているわけではないようなので、この話はひとまず措くとしよう。

このやりとりの暗黙の前提となっているのは、短歌という韻文定型詩は「われ」の詩であるということであり、そしてそこで明示的に語られているように思われるのは、これは主として内山の発言であるが、短歌とは「理想」を目ざし「穢れなく生きたい」と念じている「われ」が、そのような世界を言葉によって創出したいと願う、そうした欲求、あるいは祈りによって表現される詩である、あるいはそうした詩でありたいものだ、ということである。

このやりとりについて、読者の受け取り方は、おそらく大きく二つに分かれるだろう。ひとつは、まことにその通りだ、短歌とはそうしたものだ、「短歌人」の若手歌人はとてもまともなことを言っているではないか、感心して読んだ、というような反応である。あるいはこうした受け取り方をする読者の方が短歌人口全体の中では多数派なのかも知れない。しかし、言うまでもないことだが、こういう場合、ものごとを多数決で決するというわけにはゆかない。少数の読者かも知れないが、僕のように「?」マークを付したひとたちもいるはずだ。この「?」マークに、もう少しこだわってみたい。(念のために付記しておけば、僕は内山の作品も斉藤の作品も愛読している読者である。ここでの「?」はあくまでもこの座談会のこのやりとりのくだりに限定して付されている。)

内山はこのやりとりの途上、共感する作品として、「風に乗る冬の揚羽にわが上に一度かぎりの一秒過ぐる」(横山未来子『樹下のひとりの眠りのために』)を引いているが、たしかに横山の作品は内山のように考える者にとって「いい歌」の典型をなすだろう。(斉藤は、この歌に関しては、こうした表現が「せちがらい日々の生活をかえって温存してしまう」ことにならないか、と述べていた。)もとより特定の一個人が語る「私の好きな作風」についての話ならそれで構わない。しかし、それがそのまま「短歌というものは…」という構えで語られるとなると話は別であろう。もちろん僕も横山の作品はいい歌だと思う。が、こうした作風のものこそ、あるいはこうした作風のものだけが「いい歌」なのだろうか。もし「いい歌」のイメージがそのように限定されてゆくとすると、「いい歌」というのはおのずと似てくるのではないだろうか。極言すれば、そこでは作者名によってもたらされる固有性は消滅し、そのかみの匿名性に近い世界が現在に再現する、という事態が生ずるのではないか、と思うのである。

横山は自らの身体のハンディを一切作品の題材とせず、あくまでもこの世界を美しく詠もうとする作者で、そのこと自体にも感心するという読者は多いだろう。しかし、僕は一方で、自らの心の病を作品中にも晒し、「悪いことは内心みんな妻のせいにしてゐたと言ふ夫よ わかつてゐたよ」(『ふたり』)などと詠む関口ひろみの作品も愛好する。さらには「ぼろくづとなりて路上にころがれば犬もほどなく犬を終はらむ」(佐藤通雅『美童』)「光芒サヘ屈折スル夏死ヲ思フ者ニ妄リニ声ヲカケルナ」(小笠原和幸『テネシーワルツ』)「止揚なるご都合笑止この頃は《継承》よりも《拒絶》に傾ぐ」(依田仁美『悪戯翼』)などという歌も忘れ難く印象に残っている。このような作品は、「理想」を目ざして「穢れなく生きたい」と念じている「われ」とは相当に隔たりがあるだろう。そうしたものも含めての「短歌」であってほしい、と僕は思う。

そんなふうに思いをめぐらしていたら、吉本隆明がかつてある座談会(『短歌・俳句・川柳101年』[『新潮』1993年10月臨増号]所載)で、「短歌という詩型の不気味さ」についてしきりに言及し、それは「草木がもの言う世界」「天皇制的なものよりももっと以前の不気味さ」へ通じているのではないか、と繰り返し述べていたのを思い出した。彼が考えている「不気味な歌」は、短歌を「ポエジー化しよう」とする方向とは異なるのだ、という。おそらく上記の内山と斉藤のやりとりで想定されていたであろう「いい歌」は、吉本がここで言っている「ポエジー化」の方位にある作品の範疇に含まれるだろう。吉本は、「ポエジー化」しようとしている歌人の例として塚本邦雄などの名を挙げ、一方、「不気味なところ」がある歌を詠む歌人の例として前川佐美雄などの名を挙げていた。

「基督の 真はだかにして血の肌(ハダヘ) 見つゝわらへり。雪の中より」(釈迢空『倭をぐな 以後』)「とらめふのむらみほとふまくらはるまらうやれゑれまわれめふゑれま」(坂野信彦『深層短歌宣言』所載)などという歌も「不気味な歌」の範疇に入るだろう。迢空の「わらへり」の主語には「われ」も含まれるだろうが、「われ」だけには限定されないもっと不気味ななにものかの「わらへり」でもあるように感じる。坂野の呪文歌は、「われ」も何も、およそ「意味」を放棄した音列である。坂野は、結局、歌を詠むこと自体をやめてしまったようだが、『深層短歌宣言』では「呪文」に注目し、誰もが知っている「ちちんぷいぷい」というフレーズにも触れていた。

ところが、先に記したように、「穢れ」は差別という事象にかかわる、という問題関心から言うなら、「ちちんぷいぷい」もまた何らかの「穢れ」を祓う側の音列であるには違いない。祓われる側は歌わないのか。祓われる側の歌ないし発語は、一切歴史上の記録としては残らない、ということなのだろうか。僕は、「穢れを祓いたい」と念じている者の側から見るなら「穢れた者」と思われるような存在が詠む歌、言うなれば「穢れた歌」も読みたい。あるいは僕自身もまた、できることなら「穢れた歌」をも詠みたいものだ、と思っている。

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