短歌時評 第27回 松野志保

「あの日」を遠く離れて

 9月11日は東日本大震災から半年であると同時に、アメリカ同時多発テロ事件から10年でもあった。本当はあのテロがその後の世界に及ぼした影響についてさまざまな総括がされる日になるはずだったのだろうが、震災というより身近な大事件の発生によって、それらはニュースの片隅に押しやられていた。
 新聞の紙面やテレビの放送時間には限りがある。そして、人が持つ時間やエネルギー、想像力もまた無限ではない。当たり前で仕方のないことだと思いつつも、本当は考えなければいけないこと、心を配らなければいけないことを見落としたまま日々が過ぎていくことが今、ひどく気になる。

 思えば10年前もそうだった。世界貿易センタービルが崩れていく映像はあまりにも衝撃的で、それを見た人々は否応なくテロによる死者たちに思いを馳せた。それに比べると、その後、アフガニスタンやイラクで繰りひろげられた「テロとの戦い」の犠牲者たちに寄せられた心や、彼らのために紡がれた言葉はあまりにも少なかったように思う。
 あれほど甚大な被害をもたらした東日本大震災にしても、時がたつにつれて過去になっていく。関心の薄れていくスピードは、その人が受けた被害の大きさや被災地との関わりの深さによっておそらく異なる。同じように被災しながら、復興に向けて歩み出す人がいる一方で、簡単には立ち上がれない人もいるだろう。その思いの温度差は、これからいよいよ顕著になっていき、それによって傷つく人もいるのではないか。

 この夏、私は仕事の都合で突然、東京から鳥取に居を移すことになった。こんな時に震災の被災地から遠ざかるなんて、と思いながらの引っ越しだった。
 鳥取に来てみれば、節電を求められることもなく、周囲には放射線量を心配する人もいない。そして新しい土地での生活に慣れようとジタバタしているうちに、今もなお震災の余波の中で生活している人たちについて考える時間が少しずつ少しずつ確実に減っていく。それがどうにも後ろめたかった。

 そうした日々の中で何度も読み直したのが、仙台在住の歌人、佐藤通雅が発行する「路上」だった。1966年に創刊された同誌はこの8月の120号をもって第Ⅰ期終巻を迎えた。かねてから予定していた終巻を間近に控えて、東日本大震災が起きたことになる。
 震災から間もない4月に届いた119号には、巻末に急遽差し込まれたと思しき「11・3・11手稿」が掲載されていて、そこに次のような一節があった。

 数日後にパソコンは復旧し、早速何人もの方から安否を尋ねるメールがあります。こちらの声を聞いて「ああ、よかった」と泣き出す人もいます。その善意には感謝しながらも、被害の渦中にいるものの受け止め方は違います。全くの偶然で生者側に区別されたにすぎないのに、個人の生存を大げさに喜んでほしくない、それでは死者にすまない、そういう気持ちです。災害の内部と外部の、どうしようもないずれです。

 友人知人はおそらく心から筆者の安否を心配し、その無事に安堵したのだろう。筆者はその善意を十分理解しながら、ともに喜ぶことが出来ずにいる。真心から出たはずの言葉に対する違和感、「大げさに喜んでほしくない」「死者にすまない」とさえ感じてしまうところに、今回の震災が残した傷の深さを見る思いがして、この一節は、引っ越しのドタバタを挟んでなお、私の心に小さな棘として残った。
 最終号の120号には、震災後の日々の中で作られた歌が掲載されている。非日常が日常となってしまった街で、目にしたもの、感じたことが声高ではないが丁寧に掬い取られている。

この街を逃れゆかむとバスを待つ長蛇の列にも雪容赦なし
ビンというビンに明日の飲み水を 生き延びる策は簡にして明
並ぶ 並ぶ どこへ行っても人は並ぶ この単純には体力が要る
立ち直るにはもう百歩 否、万歩 土踏むのみに足裏が痛む

 震災を契機として、多くの詩歌が生まれ、これからも書かれていくだろう。その中の良質のものは、時間が過ぎ、距離が離れても、それを飛び越えて、あの日の喪失の痛みをまざまざと思い出させてくれるだろう。

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