短歌時評 第28回 棚木恒寿

 黒田雪子氏より歌集『星と切符』が送られて来た。僅かに180首が収録された60ページからなる1冊は、出版社を通さない印刷物であり、2003年の短歌研究新人賞受賞者の処女歌集としてはいかにも簡素に過ぎる。その理由は「あとがき」を読むと了解される。

 私は、まだ一五歳だった一九八七年の初夏から、短歌をつくり始めました。二十年以上続けた趣味ですが、三十代後半になって、これといった理由もないのに詠めなくなってきたので、無理にこしらえようとせず、もうやめてしまうことに決めました。短歌という領域からの撤退を前提に今までの作品をまとめたのが、この小冊子です。

 歌との別れに際して歌集をまとめたという。限定300部の出版であり、あるいは、周囲への挨拶の意味を込めての半ばプライベートな冊子なのだろうか。このような時評の場に取り上げられるのは著者の本意ではない可能性もあるが、何卒お許し頂きたい。

 著者の黒田氏はまだ大学生であった1992年に短歌研究新人賞の候補作家として登場。その一連「ゆふされば」で注目された。結社に属さない無所属歌人として、散発的に総合誌などに作品を発表していたが、2003年に短歌研究新人賞を受賞。その後「未来」に入会して活動を続けていたようである。やや個人的なことを書かせて頂くと、黒田氏と直接の面識はないが、ともに90年代を大学生として過ごし、似た時期に新人賞への投稿経験があるということで、何となく同期意識を感じていた歌人である。

 歌集を通読して、次のような歌が印象に残った。

朴の花揺れて傾斜(なぞえ)に風が立つかしこに見えぬ扉開き居り
墨色の山の雲霧(うんむ)よ 鳥獣に生(あ)れなば在らん愧(は)ずることなく
街のはてゆうぐれの天(あめ)赤ければ眼(まなこ)をあげておどろきにけり
うつしみはかの一篇に如かざると鴉の集う園をよぎれる

 1992年の新人賞候補作一連(歌集では「ゆふされば」が「朴の花・一九九二」と改題)より。当時大学生であった黒田がすでに身に着けていた修辞技法の高さがうかがえる。1首目、朴の花が揺れるのを見て、春の風が吹いているのだと感知したのだろうか。傾斜(なぞえ)という語の選択にはこだわりが感じられ、傾斜を吹きあがる風にはどこか爽快感がある。そして、下の句ではあちらこちらに見えない扉が開いているという。扉とは外部との通路であり、春という季節のもつ解放感が、このメタファーによってふっと拡がる。季節感、その襞までが比喩によって読者に豊かに手渡される。3首目、内容的には夕暮れに出会ったということだけなのだが、下の句「眼(まなこ)をあげておどろきにけり」が表現として俄然おもしろい。「眼をあげて」は自分の行為であり、本来は眼をあげる様子は自分では見えないはずである。しかしこの「眼をあげて」には、自分の行為を外から眺めているような視点が微妙に混じっているようにも感じられ、映像としてくっきりとする。意味的には眼を見開いて驚いたくらいの意味なのだろうが、「眼を見開いて」では得られない臨場感がこの表現にはある。歌のリアリティーとは、内容よりもこういう表現の部分部分に宿るのではないかと、私などは思う。4首目には若干の文学趣味があるが、「鴉の集う園をよぎれる」には日常の景としての手触りがあり、文学臭も若さゆえの自意識へと回収されて、むしろ青春歌となっているようだ。2首目では生きづらさのようなものが歌われており、ここからは意外に作者の生な素顔も見える。豊かなメタファーや言葉へのこだわりが、「私」や「私の感覚」をそっと計量して読者に手渡している、そんな感覚になる一連であった。

 ここでの深入りは避けたいが、このような修辞法は2000年代以降だんだん劣勢になって来ている可能性がある。「修辞の武装解除」というキーワードが(その当否はさておき)しばしば取り上げられる現在、修辞をもぎ取られた生の「私」のほうが定型空間でリアリティーを持つようになっているのかもしれない。

さて、黒田の歩みをもうすこし見てみよう。

西日濃きかどを折れゆく車みな或る角度にて牙を光らす
木星のような飴玉消えてゆく湿れる洞の温(ぬく)き闇にて
ゆうぐれの逆光に鳥よく見えて針金状にその脚は伸ぶ
猫の脚白く静けく暗がりに四肢末端の動きのみ見ゆ
トンネルを風は吹き抜く音高く枯葉を壁に打ち当てながら

 前半の3首は、比喩がものの手触りを補強している。「或る角度にて牙を光らす」は夕日のなかハレーションを起こしながら近づいて来る車のボディーの質感を再現しているし、「木星のような飴玉」「針金状にその脚は伸ぶ」にも比喩によるリアリティーがある。後の2首は景の発見や切り取りがするどい。5首目では「枯葉を壁に打ち当てながら」が良く、枯葉が壁に打ち当っているという発見を再現するように歌が作られている。「トンネルを風は吹抜く」の後で微妙なひと呼吸があり、良く眼を凝らして見ると枯葉が壁に打ち当っている様子が見えて来るのである。

 歌集全体を通して見ると、若くして習得した修辞法がものの質感や存在感を際立たせるように作用している歌が印象に残った。一方で、祖母の介護と死、自らの療養や仕事に関してなど、主題によって集められた連作には、修辞法をうまく適用できなかった作も散見されたように思う。現実世界の苦味が伺える歌で、私の印象に残ったものは次のような作品であるが、その数は少なかった。

木の葉髪白く細きが浮きて居り父母の浴後の湯船に入れば
ひざまずきひとのゆまりをきよむるになぜか宮中祭祀をおもう

 ところで、短歌研究12月号(「短歌年鑑」)の年間回顧座談会で、佐佐木幸綱が次のような発言をしている。

 

 原発の歌で痛感したのは比喩が効かないことだ。比喩が詩の根源だという言い方をしてきた人たちは、どうも振るわないんだよね。そこをどう考えていくのかが、今度、投げかけられた大きな問題の一つなのではないか。そんな気がしているんだけど。

(「現実は比喩をゆるさない」の項より)

 黒田が挑みつつ挑み切れなかった現実との格闘と、状況論としての佐佐木の指摘は全く同じものではないのだろう。しかしながら、2000年代における比喩・修辞のありよう、それへの各作家の向かい方はもっと論じられてよい。ごく大雑把にいえば黒田は前衛短歌の修辞法の影響を若年時に受けた、最後の世代であるように思う。黒田が懸けた修辞法をどう評価してどう読み解くか、そこに私たちの2000年代短歌への向かい方のようなものが析出されるように思われる。

最後に歌集中いちばん印象にのこった歌を一首。

コンタクトレンズの青きふたひらを微震の過ぎし深夜はずす

タグ: , ,

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress