短歌時評 第43回 田中濯

他者からの言葉 (震災詠について その2)

本稿がアップロードされるころには、すでに3.11は過ぎ、その記憶は一気に薄れていくことだろう。多くの人々が言うように、本震災は、地震・津波の自然災害の面と原発事故という人災の両面を持っている(原発事故に人災の部分をどれだけ求めるかは議論のあるところではある)。また、これまた指摘されているように、自然災害の面は復興が進み、原発事故の面は進捗状況自体がいまだ不明である。それでも、放射性物質の拡散による「被害」は、当初想定されたよりも「押さえ込まれている」状況にあることは確かだ。無論それは、信頼性を致命的に毀損した政府・マスコミの言い分であって、本当はどうなのか、という疑念はいつまでもつきまとう。なにしろ、結果が目に見えるのは数年後・数十年後、といった話題なのである。政権の交替もあるだろうし、東電の処分も不明である。このまま、日本国官僚のお得意技「玉虫色の解決」が成立してしまうのかもしれない。フクシマへの圧倒的差別感情を日本人のココロに残して。

以上に述べた現状からも、原発詠は難しい。単純に原発を批判する歌は、歌として貧弱にならざるを得ない。それは表層に過ぎず、本質に届くことはない。例えば、再刊された佐藤祐禎『青白き光』は反・福島原発の記録としては貴重だが、歌としては評価できない。短歌を短歌としてシビアに評価するとき、原発詠の多くは残念ながら手から滑り落ちてしまう。逆に言えば、「プロ」を自覚する歌人が心して歌わなければ、短歌史からも消えていく可能性すらあるということである。短歌の「大家」や腕自慢は危機感をもって然るべき話題であると考える。

しかしながら、いくつか、「詩客」での紹介に耐えうる歌が生まれているのも確かである。

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ 

吉川宏志 / 角川短歌2011.10

「工場の街」
甘やかされ手のつけられぬやうになりしもその街の出なれば兄弟
弟の殺さるるまでを見届けむ死んでも疎まるるべき弟の

真中朋久 / 毎日新聞朝刊2012.3.4

 吉川の歌はわかりやすい。そして恐ろしい歌である。この状況で原発に固執する人間が意外に多いこと、またそれがほぼ例外なく様々に権力を持つ立場にあること、ついには東電幹部や保安院に代表されるように叩かれても叩かれても異常なまでにしぶとい、ということ、これらは原発に言及すること自体を倦ませるほどである。それだから、吉川は、ふと、思ったのであろう。天皇が言えばさすがの彼らもあきらめるのではないか、と。そしてそう思ってしまった自分に愕然としたのだ。それは戦後民主主義的価値観の否定であり、天皇が最高権威者だと実は認めていた、ということであり、天皇が民衆の味方であるとも実は素朴に思っていた、ということを指すからだ。これは、吉川の行動原理のタテマエを、またそのタテマエを構築した人々を、自ら裏切る発想であった。だからこそ、彼は恥じたのである。そして、正直に言えば、筆者(田中)もこの類想を持っていた。それゆえ、筆者(田中)も吉川に殉じて恥じ、その上でこの歌に感動したのである。本稿の読者のかたがたにも、この「恥」への理路を辿れる向きはいらっしゃるのではないだろうか?一応ここで少し注をしておくならば、短歌は三詩形のうち「権力」にもっとも近い詩形である。すなわち宮中歌会始の存在であり、必然的に歌人は、天皇制というものに向き合ったり、なんらかの思想的決断をする状況に追い込まれることがままある。短歌は権力と骨がらみなのだ。国歌「君が代」が短歌であることからもそれは自明といえるだろう。であるから、吉川が、ここで「アメリカ」でなく「天皇」を想起した、ということも実は興味深いことなのである(歌としては「天皇」のほうが衝撃力は強いことは確かだが)。
 一方で、真中の歌は難しい。この二首を解くカギは、これが震災詠特集中の歌である、ということである。どうやら、兄は真中自身であり、「工場の街」出身の弟は「死んでも疎まるるべき」とされている。勘のいい読者はここでピンとくるだろう。弟とは原発ではないのか?と。そして、ネット検索してこのページに至るだろう。日本で原発を研究開発してきたのは、周知の通り、東芝と日立である。そして「工場の街」といえるほどの企業城下町は、トヨタ自動車の豊田市と日立製作所の日立市より他にない。HPに記されているように、福島第一原発の第1号機及び第4号機に日立はプラントを搬入している。第1号機は昭和46年、第4号機は昭和53年の搬入だ。いずれも真中の「年下」で彼の年齢(40代)に近い。すなわち「弟」なのである。

 ここまでくれば、歌の解釈は可能である。一首目。甘やかされ手のつけられないようになった弟、原発。しかし、彼は真中と同じく日立市で「生まれた」「年下の」存在、である。したがって、どんな運命を辿ろうが、原発は血肉を分けた「兄弟」なのである。当時、「弟」は真に誇るべき存在だった。未来の、夢の、素晴らしき科学の新エネルギー、原発。その原発に、アタマやカネではなく、血肉魂の部分で愛情を注ぐひとびとがいたし、今もひっそりと、いるのである。それは、どうしようもないことなのだ。そういうひとびとのかすかな声を、真中は歌にして届けてくれているのである。二首目。しかしながら、「弟」は世間に多大な迷惑をかけてしまった。残念ながら、私はこれについて上手く言葉をもてないのだが、心情としては、重大事件を起こし死刑判決を受けた人物を肉親にもつもの、というのが近いのではないだろうか。少しだけ擁護するならば、正犯は運用その他に著しい「不手際」を示した東電であって、プラントを納入した日立ではない、のかもしれない。メルトスルーした炉心が、地下水と触れて水蒸気爆発を起こすという最悪事態が未だ起きていないのは、日立のひとびとが精魂込めて原発をつくったため、なのかもしれない。しかし、それでも真中は「弟」は死ののちも疎まれるべき存在であると認め、しかしその「殺さるる」姿からは目をそらさないと述べる。批判も覚悟のうえの歌として、賞賛に値する二首であろう。

話は少し逸れるが、真中が原発を「妹」でなく「弟」としたことも興味深い。船などには女性の名を当てるし、一般に巨大建築物は「女性」とすることが多い。しかし、原発は、これはまぎれなく「男性」なのである。マッチョ的男性原理の産物、原発。そういえば、原発関係者はみな男性ばかりだ。あの放熱塔がペニスそのものだ、といいたいわけではないが、真中はその歌人の直感から原発を「男」と見抜いたのであろう。いま放射能について、最も深刻に憂えているのが妊婦や幼子をもつ女性であることは疑いようもなく、現実にもその対立構造は当てはまっているといえよう。

以上、三首を念入りに見てきた。吉川は天皇をキーワードに原発を一気に自分の「思想」の問題にまで引き付けてみせた。一方、真中は、単純な反原発詠がはびこるなかで、自己の出自をもって別の視点から原発を慈しみも斬りつつ、高いオリジナリティを示して歌人としての矜持を護った。いずれも原発詠における歌人の奮闘として後世に伝えるべき歌であると信じる。真中も吉川も、関西在住の歌人である。いま原発詠をより上手く歌える状況にあるのは、筆者(田中)にとっては全き他者である被災をしなかった関西以西のひとびとなのかもしれない。筆者(田中)はこの一年、非・被災者の震災詠をやや色眼鏡で見てきたのだが、このような優れた他者からの声を聞くと、私も頑張らねばと、やはり奮い立つものがある。被災地のウチとソトから、いずれはその垣根も無くして、今後も継続して良き歌が生まれることを期待するものである。

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One Response to “短歌時評 第43回 田中濯”


  1. 田中濯
    on 3月 20th, 2012
    @

    今回の時評には追記がございます。
    私のブログに書きましたので、閲覧していただけると幸いです。
    http://d.hatena.ne.jp/artery/20120318

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