短歌時評 第44回 齋藤芳生

『3.11万葉集 復活の塔』を読む

花見山ゆめのようなる山の名をはべらせてわがみちのくはあり  駒田晶子『銀河の水』

私が育った福島県福島市の渡利という地区に、「花見山公園」はある。

JR福島駅から東南に4キロほど。市街地を出て住宅地を抜け、田んぼや畑を過ぎ、なだらかな山の坂道を登っていくと、ぱっと視界が開けて小さな集落が現れる。その集落を見下ろすようにあるのが、「花見山公園」だ。阿部一郎という一人の老人が、長い間静かに花卉栽培農業を営んできた私有地である。小高い山一面に、梅、花桃、連翹、木瓜、桜、白木蓮、辛夷、山茱萸、春に花を咲かせるありとあらゆる花木が植えられていて、毎年4月になると一斉に咲き始める。すべて、阿部氏が戦後から少しずつ植えていったものだ。この集落ではもともと花卉栽培が盛んなため、花々は公園を溢れ出し、集落すべてを覆うように咲く。「花見山」とは、そんな場所だ。ちなみに、私の実家からは徒歩10分の距離である。

花見山公園 Wikipedia

 この「花見山公園」を含む渡利地区が、福島原発の事故によって、放射線量の高いいわゆる「ホットスポット」になってしまった。この一年、渡利の人々は本当に効果があるのかどうかもさだかでない除染作業に必死だった。小さな子どもを連れて早々に遠方へと引っ越してしまった家庭もある。春の花々は、昨年の地震の後もいつもと同じように咲いた。今年ももうすぐ、咲くだろう。しかしそれを喜ぶ人々の笑顔にはとてつもなく大きな陰が落とされたまま、今に至る。

東日本大震災からちょうど一年目の今月11日に、彩流社という出版社から出された『3.11万葉集 復活の塔』というアンソロジー企画に参加した。

震災以降、南相馬市の仮設住宅建設などを中心にそれぞれの立場を活かして復興支援に携わっている、美術家 彦坂尚嘉、建築史・建築批評家 五十嵐太郎、そしてかねてより被災した地域の住宅の設計、建築に多く携わって来た建築家である、芳賀沼整による編著である。彼らが携わった南相馬市の仮設住宅、その壁面に施された彦坂によるウッドペインティング、そして今回の「東日本大震災によって破壊され、バラバラになったものを、再度別の視点からつなぎ直して行く行動や実践を生む美術を作り出す」ことを目的として制作されたという『復活の塔』の写真などと共に、短歌や俳句、詩がまとめられたものだ。

このアンソロジーに参加しているのは、主に南相馬市の中学生たちや、『復活の塔』のある仮設住宅で生活している人々である。その他、詩人の谷川俊太郎や和合亮一、小高賢、栗木京子、小島ゆかり、福島市出身の歌人である本田一弘、高木佳子、三原由起子らが作品を寄せ、そして、今上天皇の御製と美智子皇后御歌が収録されている。

はしがきで、編者の一人である彦坂尚嘉は言う。

『3・11万葉集 復活の塔』というのは、奈良時代の『万葉集』に比肩もできないささやか過ぎる歌集なのですが、それでも天皇の御製も、皇后の御歌も作品として正式に収録できて、文字通り『万葉集』になったのです。無名の民衆や子どもたちの作った和歌を、天皇やプロの歌人・詩人の歌と同列に扱うという意図を、平成の現在に実現できたのです。このことは、日本芸術の大乗仏教的な本質を指し示す重要な構造の継続を意味します。それによって、日本文化の本質の中に集団性と連帯性があるという特徴を再確認するものなのです。57577という定型詩の共有は、そのような調和性を根底にもっているのです。

五十嵐によって設計された『復活の塔』にペインティングを依頼された彦坂は、「檜の角材を積み上げた構造だったので、わたしはこれを57577」に塗り分けた」のだという。自らの母親が五島美代子に師事しており、万葉集に深い思い入れがあったという彦坂は、五十嵐らと作り上げた仮設住宅、そして自らがそこに手がけた壁画やこの塔をシンボルとして、様々な人々の短歌や俳句を集め、『万葉集』として人々の記憶に残したい、と考えたのだった。この『3・11万葉集 復活の塔』の売り上げは、この『復活の塔』のある仮設住宅で生活している人々に寄付されるという。

この企画そのものに、賛否両論あるかもしれない。しかしでき上がった本に収められている短歌や俳句に目を通しながら考えさせられたのは、それぞれの結社誌に発表されている歌とも違う、新聞や総合誌の投稿歌とも明らかに違う、このような被災地の人々の言葉を「短歌」や「俳句」という形で集める、ということも、ひとつの意義ある仕事なのではないかということだった。特に中学生たちなどは、この企画がなければ、短歌や俳句を作ろうとすら思わなかったのではないか。

あの日から失った日々 がんばろう ああがんばろう ああがんばろう
                菅野竜馬(南相馬市立鹿島中学校二年三組)

 
震災後コーヒー片手に海岸に 涙とコーヒー飲みほし進む
                今野優作( 同 )

 収録されている被災地の人々の短歌や俳句には、正直拙いものも多い。しかし、どんなに拙くてもそれを5・7・5・7・7という定型に受け止めることができるのは、彦坂の言うように万葉集から連綿と続いて来た短歌という詩形の大きな魅力ではないか。そして、そうやってまとめられた、まだ歌になっていないような言葉たちの中にも、きらりと光るものはあるのではないか。それを、誰かが見つけなければならないのではないか。

 東日本大震災のような非常時において、短歌が普段全く短歌に触れることのない人々にとって、どのような意味をもつのか。そしてどのような可能性があるのか。改めて考えていきたいと思ったのである。この『3・11万葉集 復活の塔』が、普段は短歌とは全く関わりのないところで仕事をしている編者たちによってまとめられたということも、含めて。

 今年は「春一番」が吹かなかった、というニュースを、数日前に耳にした。南相馬市の仮設住宅にも、そして私のふるさとにも、ようやく春がやって来る。

執筆者紹介

  • 齋藤芳生(さいとう・よしき)

歌人。1977年福島県福島市生まれ。歌林の会会員。歌集『桃花水を待つ』角川書店

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