短歌時評 第45回  田村元 

「短歌」の座談会について

 「短歌」2012年3月号の「震災大特集」の座談会を読んで、いろいろ考えさせられた。まず、来嶋靖生・佐藤通雅・沖ななも・渡英子・司会:小高賢による「世代Ⅰ〔50代以上〕」の座談会では、渡英子が、次のように語っているのが印象に残った。

渡 空穂が言っていますが、短歌には実用と文芸の両面があるじゃないですか。こういう非常時は実用の部分をある程度、認めないといけないではないかと思うのです。たとえば『万葉集』にある挽歌。挽歌をうたうのは異常死、非業の死の時です。それをうたうのは結局、うたう側の問題です。死んだ人を悼むことによって自分が生きていける。その苦しさを緩衝するところがあるから。そこのところを短歌という詩型は担っているんだというふうに考えないと、文芸だけで考えてしまうと、どうしても排除していく方向になってしまう。

 たしかに、短歌には「文芸」という観点からだけでは語り尽くせない「実用」的な側面があるように思う。親しい者の死という、現実の世界ではどうすることもできない悲しみを、言葉として表現し、客観化することで、その悲しみをほんのわずかであっても和らげることができるのではないか。土屋文明は、短歌とは「叫びの交換」であると言っているが、結社や歌会の場などで、個人の悲しみの「叫び」を、仲間と「交換」し合うことで、少しでも和らげていくことができるのではないだろうか。こんな、文学や芸術という枠には収まりきらない機能を、短歌という詩型が持っていることは、改めて思い起こしておくべきだろう。

 また、田中濯・光森裕樹・三原由起子・石川美南・司会:小高賢による「世代Ⅱ〔30代以下〕」の座談会では、田中濯の次の発言に特に注目した。

田中 原発災害をうたえなければ、前衛短歌が見いだした「短歌は思想の器である」という戦後最大の資産を失うことになってしまうので、これを詠まなければいけないということです。

 私は、原発災害について、「詠まなければいけない」とまでは思わないが、田中が思想詠に着目している点については同感である。私自身、震災の後に、原発の歌を何首か作ったことがあり、歌会の場で手厳しく批判された経験があるが、強く感じるのは、原発災害について詠うことがいかに難しいかということである。目に見えない放射能や、原発をめぐる政治・経済・社会の複雑に入り組んだ現実を、どう詠えばいいのだろうか。上記の田中の発言は、この問いへの一つの解答になっている。前衛短歌が切り開いた短歌における思想表現は、前衛短歌の収束後は顧みられることが少なくなったが、まさに今、歌人が原発災害に向き合うときの重要な方法になるのではないだろうか。そして実際に、原発災害を詠んだ歌の中に、優れた思想詠が生まれているように思う。

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ 吉川宏志(「短歌」2011年10月号)

 この作品については、「詩客」の短歌時評(2012年3月16日付)で田中濯が取り上げ、「吉川は天皇をキーワードに原発を一気に自分の「思想」の問題にまで引き付けてみせた」と書いているが、まさに座談会での田中の主張を、具体的な作品で例示していると言っていいだろう。

 原発をめぐる複雑な現実は、もはや天皇のような権威によってしか変えることはできないのではないか。そんな思いに至ったとき、民主主義国家の国民の一人として、自らの無力さを思い、恥じた。そんな歌として読んだ。私がこの歌を読んで思い起こすのは、昭和20年8月の昭和天皇による玉音放送だ。天皇がラジオを通じて国民に呼びかけることによってしか、戦争をやめることのできなかった日本を思うのである。そして戦後の日本とは、いったい何だったのか、そんなことを深く考えさせられる歌である。

脱原発デモに行ったと「ミクシィ」に書けば誰かを傷つけたようだ 三原由起子(「短歌研究」2011年9月号「ふるさとは赤」)

 座談会の出席者でもある三原由起子は、福島県浪江町の出身。実家は原発の十キロ圏内にあり、同級生や知り合いには原発で働いている方もいるという。原発周辺の出身者は、事故後、置かれている立ち場によって様々に分断されてしまったのだろう。自らの思いを綴った「ミクシィ」への書き込みが、親しい者を傷つけてしまったという体験。そのことへの戸惑いと、それでも声を上げなければならないという思いが、この一首を、表面的な原発批判ではない、深い思想的な表現にしているのだと思う。

 思想、思想と言ってきたが、従来の右とか左とか、保守とか革新とかいうイデオロギーでは括れない時代に既になっているし、そんなことを言いたい訳ではもちろんない。思想詠とは、人間や社会のありようを、短歌形式を通じて深く問い続けていくことだと考えている。私はそんな歌を読みたいと思うし、詠みたいと思っている。

作者紹介

  • 田村 元(たむら はじめ)

1977年 群馬県新里村(現・桐生市)生まれ
1999年 「りとむ」入会
2000年 「太郎と花子」創刊に参加
2002年 第13回歌壇賞受賞
2012年 第一歌集『北二十二条西七丁目』刊

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