短歌時評 第56回 齋藤芳生 

それぞれの「一年後」、そしてこれから

一年前もレンゲ畑を眺めゐき息子の掌(て)つよく握りしめつつ   大口玲子「さくらあんぱん」
たんぽぽの綿毛につかまり次々に母と子どもは西へ飛び立つ   栗木京子「カレンダー」

その違和感は、気のせいではなかった。

泥のにおいがしない。

先月末、福島市の実家に帰省した時のことである。実家周辺に広がる田んぼでは、いつもなら田植えがとうに終わっている季節だ。実家に着いたのは夜半だったので、辺りの風景は見えない。風景は見えなくても、用水路に水の流れる音が響き、蛙の鳴き声が聞こえ、日中の日差しに温められた田んぼの泥のにおいがひんやりとした夜気にたっぷりと残っているはず、なのである。しかし、その泥のにおいがしなかったのだ。

私の実家周辺の田んぼは計測の結果放射線量が高かったため、耕作中止となったのだった。翌朝、農家の人々が田んぼの土を耕しているのを見た。雑草がはびこったりして田んぼがだめになってしまわないように、定期的に耕運機を入れているのだという。

「短歌」6月号の巻頭に掲載された大口玲子の「さくらあんぱん」、栗木京子の「カレンダー」は、どちらもそれぞれに心を打たれる優れた一連であった。仙台市で被災し、その後福島原発の事故を受けて子どもと共に宮崎県へ避難し、避難先から歌を発し続ける大口。東京で、被災した人々や自分自身の生活に深く想いを巡らせ、歌い続けてきた栗木。

いくたびも「影響なし」と聞く春の命に関はる嘘はいけない   大口玲子
「福島の人は居ませんか(福島でなければニュースにならない)」と言はる

一首目の歌には、

「生まれたいのちは生きられるだけ生きたい」(吉野せい)

という詞書がつけられている。吉野せいは、現在福島原発周辺に住んでいて避難を余儀なくされた多くの人々が暮らしている福島県のいわき市で、開拓農民として生きた。その吉野の言葉や生き様に想いを馳せながら、大口は母親としての自分とわが子を見つめる。

特に子どもをもつ日本の母親たちにとって、「影響なし」とは、震災以降すっかり信用できなくなった言葉の一つであろう。何度も聞かされた、そして聞かされるたびに不安が募るばかりだった言葉。「嘘はいけない」。大口が、そして日本の母親たちが、自分の子どもに折に触れて語りかけ、諭しているであろうこの言葉。そう、「嘘はいけない」。これは善良な人間として社会で生きていくための基本である。この言葉が今もって繰り返されている「影響なし」という言葉に向けられたとき、この下の句のもつ意味は限りなく重い。

そして、二首目で歌われているのは、避難している自分たちの生活さえも「ニュース」、つまり一種の商品として値踏みされている、という現実である。ここで歌われているのは、「私たちだって大変なのに」といった、表面的な不満ではもちろんない。震災直後は「絆」や「がんばろう」といった言葉が報道にあれだけ溢れていたにも関わらず、一年という時を経てその報道も明らかに変わってきている、「今」の空しさだろう。そんな中で大口は、これからも自らの力で、子どもを守りながら生きて行こうとしている。

震災の日より祈りはかたち持ち菱形の雲よ水仙の黄よ      栗木京子
義援金を箱に入るればふと聞こゆ「手首のみにて球を放るな」

栗木はちょうど一年前の「短歌」2011年6月号に発表した一連「水仙添へて」で、

戸籍簿も家も流されたる遺体安置されをり水仙添へて

と歌っている。あれから一年。栗木は、いつも被災地や被災した人々に思いを寄せ、自分に何ができるのかを考え続けてきたのだ。絶対の「安心」や「安全」はないのだ、ということを誰もが思い知ったあの日から、「祈り」は特別なことでも抽象的なものでもなくなった。それは「菱形の雲」となり、あるいは「水仙の黄」となって、栗木の心の中で繰り返されるのだ。

そして栗木が「祈」るのは、被災した人たちに対して心を痛めながらも何もできずにいる、あるいは、何かしようとしても思うようにいかない、という心の痛みや無力感を感じずにはいられないからではないだろうか。「手首のみにて球を放」っては、本当に届けたいものが、届けたい場所に、人に、届かないのだ。義援金も、自分の思いも。しかし一年という時を経てなお、うまく「放る」ことができずにいる。栗木の思いに共感する読者は多かったに違いない。おそらく栗木はこれからも、被災地に心を寄せて歌い続けるのだろう。

この二つの連作は、それぞれの立場から震災の「一年後」が見事に歌われている。そして、違う立場から歌われながら図らずも互いに呼応し、響きあっているかのようだ。

翻って、私たち自身もどのように自分自身の「一年後」を歌っていくのかを考え続けていかなければならないだろう。そのような意味でも、この二つの連作の発する力は強い。私たち一人ひとりに、歌うべき「一年後」があるはずだ。そしてそれが、これからの歌につながるはずだ。

私にとっての「一年後」の象徴的な存在は、あの泥のにおいのしない、故郷の田んぼである。そしてあの田んぼがどうなっていくのか、どんな結果であってもこの目で見届けなければならない、と思っている。

執筆者紹介

  • 齋藤芳生(さいとう・よしき)

歌人。1977年福島県福島市生まれ。歌林の会会員。歌集『桃花水を待つ』角川書店

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