短歌時評 第57回 田村 元 

歌人のエピソード

2012年5月26日(土)、神奈川近代文学館で開催された「茂吉を語る会」に出席した。品田悦一による講演「絵筆と言葉」と、今野寿美によるレポート「赤光語彙から見えるもの」の後、谷岡亜紀(司会)、加藤治郎、渡英子、斉藤斎藤の四名によるパネル討論「茂吉再発見」が行われた。この討論の中での、加藤治郎による次のような発言が興味深かった。

加藤は、前衛短歌から出発した二十代の頃は、茂吉の歌を読むに当たって、茂吉のエピソードや人生などの情報を交えず、テキストからどこまで読めるかということを考えていたが、五十代になった今では、色々なエピソードを交えて読むことが面白くなってきたという。そして、前者の読みを〈テキスト読み〉、後者の読みを〈エピソード読み〉と呼んでいる。また、もう一つのアプローチとして、その歌についてどのような解釈がなされてきたかという〈評価史的な読み〉を提示している。

私が興味深く感じたのは、加藤治郎の中での、二十代の〈テキスト読み〉から、五十代の〈エピソード読み〉への変化である。これは、加藤が人生の歳月を重ねたことによる変化なのだろうか。それとも、時代の風潮による変化なのだろうか。

私自身も、短歌を始めたばかりの二十代前半の頃は、短歌は作者の人生と切り離して読むべきだと考えていた。私が大学に入学したのは1996年だが、教養の講義の中で、生まれて初めて受けた文学の講義が、「テクスト論」についての講義だった。「テクスト論」は、主に小説についての文学理論だが、まさに、作者と作品を切り離して考えるというアプローチで、私は短歌の読みの上でも少なからぬ影響を受けた。無記名詠草による歌会での読みや、作者名なしで評価される新人賞での選考過程などが、最も文学的な短歌の読みの場なのではないかと考えていた。

それが今では、歌人のエピソードを調べるのが、とても面白くなってきている。休日に時間があれば、歌人の行きつけの居酒屋めぐりをして自分のブログで紹介しているし、用事があって図書館に寄れば、ついつい歌人のエピソードを探してしまう。とはいえ、エピソード探しには手間と時間がかかる。日記が刊行されている歌人は少ないので、拠り所はインタビュー集やエッセイなどである。歌人の追悼特集での回顧記事なども参考になる。思いがけない穴場が、雑誌の編集後記で、歌人の意外な素顔が覗ける場合がある。手軽に歌人のエピソードに触れたい場合は、『現代短歌ハンドブック』(雄山閣)がオススメである。歌人100人のプロフィールが、一人1ページで紹介されているが、その中に「トピック」という小コーナーがある。昭和41年の大雪の夜に、晋樹隆彦と福島泰樹に新宿の飲み屋に呼び出された佐佐木幸綱のエピソードなど、様々な歌人の横顔に触れることができる。

私が歌人のエピソードに関心を持つようになったきっかけは、関川夏央の『二葉亭四迷の明治四十一年』(文春文庫)や『白樺たちの大正』(文春文庫)を読んだことだったろうか。この二冊は、明治大正の文士たちのエピソード集のような著作である。三枝昂之の『昭和短歌の精神史』の影響もあるかもしれない。『昭和短歌の精神史』は、随所に歌人のエピソードが盛り込まれることで、短歌史の著作としては、とても読みやすい一冊になっている。

最近読んだものでは、「かばん」2012年6月号の千葉聡と中沢直人のエッセイで紹介されているエピソードが良かった。「かばん」の植松大雄、千葉聡、中沢直人の三人は、「かばん三兄弟」と呼ばれていたそうで、その中の中沢直人が、伊波真人、山田航、法橋ひらくの三人を、「新かばん三兄弟」と命名したのだという。エッセイは、「かばん三兄弟」の二人から、「新かばん三兄弟」の三人へのメッセージなのだが、その中で登場する「かばん三兄弟」を回顧したエピソードがとても温かい。

歌会の帰り、中央線のシートに並んで座り、とりとめのない話をした。「僕たち、三人兄弟みたいですよね」と言いだしたのは中沢だったような気がする。秋になっても、冬がきても、三人は一緒に帰った。JRの暖房はききすぎて、三人は真冬でも汗をかいたりした。(千葉聡「一九九九年、かばん三兄弟がいた。」

一九九九年、「だんご三兄弟」がメディアで話題になっていた頃、かばんに入会した。(中略)友人の自宅に電話をかける。その日の出来事をメーリングリストに流す。「かばん三兄弟」誕生のいきさつは何とも九○年代的で、今ではその素朴さが懐かしい。(中沢直人「歌に映り込む光」)

何の事件も起きていない、日常のありふれた風景のようなエピソードだ。けれど、歌人たちのこんな日常の中から、短歌は生まれてくるのだと思うと、とても愛おしい気持ちになってくる。

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