短歌時評 第65回 田村元

短歌と職業

 「歌壇」の集中連載、武下奈々子「働く女性たちの風景」を毎号注目して読んでいる。2012年7月号から6回の連載の予定で、7月号から9月号までの3回は、それぞれ、「主婦という仕事」「教師という仕事」「勤め人という仕事」というテーマで論じられている。どのテーマも、近代以降の社会経済の変化を踏まえ、多くの実作に当たりながら論じていて、簡潔でありながら説得力のある論考になっている。

 武下の連載を読んでいて思い出したのは、昭和56年(1981年)に刊行された『短歌読本 職場』(有斐閣選書)である。何年か前に、古本屋で偶然見つけ、めずらしい切り口の本だなと思い購入しておいたものだ。島田修二・来嶋靖生の編による職業詠のムックのような本で、職業詠についての総論と鑑賞と、「農・林」「公務員」「教師」「会社・公団」などの様々な職業の歌人たちによる「わが職場短歌」という自歌自解風のエッセイからなる一冊だ。この「わが職場短歌」の執筆者40名のうち、女性はたったの3名である。「主婦」という職業はカテゴライズされていない。

 『短歌読本 職場』は、昭和61年(1986年)の男女雇用機会均等法の施行以前の刊行であり、時代が変わったといえばそうなのかもしれないが、武下の連載は、第1回の「主婦という仕事」で、「主婦」を「仕事」として明確に位置づけた意義が大きいだろう。それは、主婦の歌について論じる際、旧来の「厨歌」という括りでは、抜け落ちてしまうものがあると思うからである。例えば、武下が現代の女性歌人の歌について論じている中で、「さらに忘れてならないのは、これらの作家たちの多くが専業主婦ではなく、自身の仕事をもっているということである」と指摘している点などである。

 また、第1回の「主婦という仕事」では、次の二つの転換期が指摘されているのが興味深い。

短歌作品の中から働く主婦たちの風景が立ち上がってくるのは、明星派の恋愛上主義の作風が後退し、日常生活に軸足を置いた「アララギ」の作風が、女流においても歌集を出版するところまでの成熟をみせる大正期に入ってからである。

 昭和四十年代から五十年代の半ばにかけて、作品上から主婦の風景が遠のく一時期があった。「前衛短歌運動」が最盛期を迎えていたその時期、こまごまとした主婦の日常を描くことが、あたかも禁忌であるかのように避けられていたのである。

 大正期のアララギの隆盛と、戦後の前衛短歌運動という二つの短歌史の大きな潮流が、主婦の歌にも大きな影響を与えていたことが分かる文章である。ここで、ふたたび前掲の『短歌読本 職場』を開いてみると、島田修二による「職業と短歌」という第1章に当たる文章に、次のような部分がある。

 「短歌読本」という性格の書物で、「職場」を扱うことに異和を感ずる人も多いのではないだろうか。とくに若い歌人たち、新しい読者には、なぜ短歌と職場が結びつくのか、理解されないかもしれない。事実として、現在、専門歌人と呼ばれる、歌壇の雑誌に作品を発表している人たちの間からは、急速に職場の歌が減少している。

 この時期、専門歌人の間では、「急速に職場の歌が減少」していたのだという。上に引いた文章で武下が、「作品上から主婦の風景が遠のく一時期があった」と指摘しているのと重なる風潮が、ここでも読み取れる。背景には、やはり「前衛短歌運動」の影響があったのではないかと思われる。

 武下が連載の第3回の「勤め人という仕事」で紹介しているように、現在の女性歌人においては、かつてに比べて実に多彩な職業が詠まれるようになってきている。男性歌人でも、例えば、昨年と今年に出版された若手歌人の歌集には、次のような歌がある。

 鉛筆を持たぬ左の手がどれもパンのようなり追試始まる 染野太朗『あの日の海』

 はじめて1コ笑いを取った、アルバイトはじめてちょうど一月目の日 永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

 染野太朗の歌は、教師として試験監督をしているときの歌。永井祐の歌は、アルバイト仲間との団欒のシーンである。男性歌人の歌についても、「急速に職場の歌が減少」していたころに比べれば、かなり職業について詠われるようになってきているように思える。

 前回の時評で紹介した加藤治郎のエッセイ集『うたびとの日々』に、「歌人は職業ではない。歌人は存在様式である。」という言葉があるが、この言葉が端的に表しているように、歌人は短歌とは別に、生計のための職業を持っている場合がほとんどである。「私はただの主婦だから」とか、「ただのサラリーマンだから」と卑下される方も少なくないが、むしろ、ただの主婦やサラリーマンが作っていることこそが、短歌の凄いところなのだと言えないだろうか。

 勿論、自らの職業について直接的に詠むかどうかは、それぞれの選択だが、「短歌と職業」は、もっと論じられていいテーマではないだろうか。

作者紹介

  • 田村 元(たむら はじめ)

1977年 群馬県新里村(現・桐生市)生まれ
1999年 「りとむ」入会
2000年 「太郎と花子」創刊に参加
2002年 第13回歌壇賞受賞
2012年 第一歌集『北二十二条西七丁目』刊

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