短歌時評 第67回 田中濯

短歌甲子園2012

8月24日から26日の三日間にわたり、岩手県盛岡市で「短歌甲子園2012」(第七回全国高校生短歌大会)が開催された。私は、大会の審査員として初めて参加した。本稿では、大成功であった「短歌甲子園2012」のレポートをお届けする。

「短歌甲子園」は毎年盛岡市で開催される全国高校生短歌大会を指す。第七回となった今回は、啄木没後100年の記念大会である。北海道から九州まで、予選を勝ち抜いた全国36校の学生さんが参加した。1校は3人からなる1チームで編成され、先鋒・中堅・大将が事前に出された「題」に則った作品を歌合的に競いあう、という趣向である。初日は開会式、二日目は予選リーグ、三日目は決勝トーナメントと個人戦が行われる。これは非常によく考えられた運営形式であった。大会が進むにつれ、やや固い表情だった学生さん達も次第に場になじみ、発言も遠慮がちだったものが生き生きとし始める姿は素晴らしいものがあった。そして、高まる熱気とともに団体決勝というクライマックスが訪れる。本年は1-1で大将戦での決着、となったこともあり、率直にいって感動した。会場からも大きな溜息ともつかぬ声が漏れたことをご報告しておきたい。

もうひとつ指摘しておきたいのは、運営スタッフの優秀さである。非常に手慣れた、また心のこもった運営であった。特にボランティア・スタッフの多くを担った若者たち、年齢的には高校生の兄貴・姉貴に相当すると思うのだが、彼らは実に気持ちのよいひとびとであった。私は審査員という立場にあったが、大会はスタッフなくしては成立するはずもないわけで、私は彼らの心意気に応えて大会にのめりこむことになった。彼らの存在を考えれば、「短歌甲子園」の発展は疑いようのないものに思える。もちろん、そこには盛岡市のもつ「文化的な力」が大きく作用しているだろう。

さて、具体的な短歌の話に移ろう。学生の皆さんのほぼ全ては、短歌をはじめて三年以内といったところであり、正直やや物足りない部分はある。先行する「俳句甲子園」のレベルの高さを考えると、ひとつの課題であるとはいえるかもしれない。ただし、優れた歌も多数目立ち、原石がごろごろ転がっているという印象をもった。ここでは、そのうちいくつかを紹介したい。

また、本大会での短歌表記は、啄木顕彰、ということで三行書きにするというルールになっていることを御承知願いたい。

 夏雨に流れて今も
 知らぬ間に
 未来の辞書に載るレトロニム  杉本君/甲府南高校2年 (石川啄木賞)

 君の眼は
 青葉のように冷たくて
 メトロノームのテンポをおとした 大塚さん/結城第二高校3年(小島ゆかり賞)

 授業中横隔膜に
 異状あり
 ヒックと吠えて冷たい視線

 
 幼き日水路で泳ぐ
 蛙(びっき)いて
 膝まで入れてすくい囲った 及川(雄)君/小牛田農林高校2年(団体優勝校)

杉本君は、「レトロニム」という単語を見事に使っている。四句目の把握は歌に奥行を与えるもので、上句のとりあわせも良い。しっかりとした基礎があり、その上にセンスがある。大塚さんの歌は二行目「青葉のように冷たくて」がずば抜けている。小島ゆかりが講評で述べていたように、この歌で「青葉」を伏せ字にしたときに、この部分に「青葉」をもってこられる人間はおそらくいないだろう。高いオリジナリティを誇る歌である。そして、及川(雄)君は、私が今大会でもっとも注目した学生さんである。この第七回大会は男性3人で組んだチームとしては初の優勝となった、ということで記録にも記憶にも残る大会であった。この小牛田農林高校は、力強く線の太い「男歌」で観客を魅了した。挙げた二首、「吠えて」という表現は抜群であるし、「蛙(びっき)」という言葉の生命力も素晴らしい。このあたりの感覚は、初心の場合、ほぼ天与のものである、といってよい。ぜひともこれからも歌を続けていってほしい。

さて、最後に、今後の「短歌甲子園」のために、すこしだけ作歌のポイントになることを挙げておこう。来年の参加者たちは、検索してこの文章に辿り着くであろうから、審査員を務めたものとして、コメントを残しておきたいと考えるものである。

1.短歌の基本は定型(五七五七七)である

 今回の作品には、七音以上の大胆な字余りや字足らずが散見された。1字程度の字余りは全く問題ないどころかむしろ良い場合が多いが、字足らずというものは、たとえ1字であっても非常に難しいものであることは把握しておいたほうがよい。学生さんの創意を縛りたくはないのだが、まずは定型で勝負してみる、ということを前提にしたほうが良いだろう。

2. 喩に挑戦してみよう

 初心には喩は難しいものである。また、本人は喩を用いたつもりでも、作品が作意に追い付いていない場合もしばしばある。ただし、喩にもさまざまに種類がある。暗喩はなかなかに熟練が必要だが、直喩(「ような」「ごとく」「みたい」など)は初心には取っ付きやすいものである(もちろん、歌に精通してくると直喩はほとんど使わなくなる)。そのあたりから慣れていくことも重要だろう。

3.倒置法は「詩の基本」である。

 今回の作品は、頭から尾まで読み下すことのできる「文章」型が多かったように思う。しかし倒置法を用いてみると、歌にぐっと力がこもることもある。例えば

六十路ゆくわが甲冑のなき影をみつつし思う清盛のこと / 佐佐木幸綱『ムーンウォーク』

という歌の場合、「みつつし思う」と「清盛のこと」が倒置の関係になっている。これが「清盛のこと思いつつみる」という順番では、歌としては弱いものになってしまう。倒置法は短歌に限らず、詩においても基本の手法である。「文章」では、使ったら怒られる倒置法であるが(小論文などでは使ってはいけません)、短歌ではどしどし使ってもらってかまわない。もちろん、これはバランスの問題なので、倒置法を使えばよい、ということではないこともご承知ねがいたい。

以上、「詩客」の読者の皆さんには、言わずもがなのことを書いてしまったが、これくらいのことを周知するだけでも、学生さんの歌は飛躍的に良くなるものである。「短歌甲子園」出身の歌人がいずれ登場することを予言して、本稿を閉じることにしたい。

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