短歌時評 第68回 牧野芝草

中澤系と黄色い風船

 今回は『uta 0001.txt』(中澤系、2004年、雁書館)を取り上げる。「今ごろどうして?」とお思いの方もいらっしゃると思うが、この歌集の復刊を目指す「中澤系プロジェクト」が現在twitterを中心に動いているからだ*1。
 中澤系は1970年生まれ。1997年に未来短歌会に入会し、その翌年に1998年度未来賞「uta 0001.txt」20首で受賞した歌人である。しかし、2002年7月号を最後に副腎白質ジストロフィーのため作歌を中断し、闘病の末2009年4月に没した。2004年に刊行された歌集『uta 0001.txt』も、中澤本人が編集した第I部「糖衣(シュガーコート)」(巻頭歌は「中澤系と言えばこの歌」と言っても過言ではないくらい有名な

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

である)とさいかち真が編集した第II部、第III部から構成されている。
 著者の死、さらに版元の廃業を受けて、この歌集が現在非常に入手しにくくなっていることを惜しんだ未来短歌会の本多真弓が、「復刊されたら読みたい人はいるのだろうか」とtwitterで呼びかけたところ反響が大きかったことがプロジェクトのきっかけだという。その後、ご家族から歌集の提供を受けて、プロジェクトの第一歩として8月25日(土)に横浜で読書会が開催された。
 当日の参加者は中澤の妹さん、友人、スタッフと本多を含めて34人であった。参加者のなかには鳥取や神戸、大阪、新潟など遠隔地からの参加もあり、出版から8年を経た歌集の読書会としては異例の規模であった。これは、中澤の短歌が魅力的であるのに加えて、呼びかけ自体がtwitterを通じてなされたことも要因として特筆しておきたい。また、当日の模様はUstreamを通じて生中継された*2。
 参加者の大半は歌歴が10年未満(筆者が推定した参加者の平均年齢は30代前半)であり、妹さんと友人以外には生前の中澤と直接交流のあった参加者はいなかった。また、「twitterのid: nakazawakei_bot*3のツイートで中澤の歌を知った」「今回のプロジェクトを呼びかける本多のツイートを見て中澤系を知った」という参加者も多かった。
 当日は、各自が事前提出した五首選を中心に意見発表が行われた(司会は本多)。歌集のない参加者にはid: nakazawakei_botのツイートのまとめ、つまり『uta 0001.txt』を抜粋したテキストが歌集の代用として配布され、彼らはそれに基づいて五首選をした。時間の関係で個々の歌の解釈などについて詳しいディスカッションができなかったのが非常に残念だったが、歌集全体を読んだ参加者とそれ以外の参加者で解釈が特に異なっているのではないかと筆者が思ったのが、タイトルに挙げた「黄色い風船」の一連(「未来」の2000年10月号と11月号に掲載された合計20首)である。
 この一連の4首目と6首目

その黄色き風船を手にすべきかは大いなる今日の問いかけにして
風船はやがて空へと昇りゆく 救いにも似た黄の色を持ち

を五首選に挙げたユキノ進は「黄色い風船は希望の象徴ではないか」と言い、この二首に加えて13、17、18首目

いつまでも測りかねてる風船と僕と君とを隔てる距離を
ビルの上飛び降りかねて見る空を風船が飛ぶ高処(たかみ)をめざす
危険信号(ワーニング・サイン)思う風船の黄色い色をあえては見ずに

を挙げた水沢ひでみは、ユキノの発言をふまえつつ「中澤のようにシャープで鋭い、エッジの利いた若い男性作者が使うモチーフとして『風船』は珍しい。風船は希望の象徴だが実際はすぐにガスが抜けてしぼんでしまうはかないモチーフである。一方、黄色という色はタンポポなどやわらかくてあたたかい印象と、工事現場などで注意喚起に使われる視認性の強い色である。希望と絶望が同時に存在することを暗示しているように思えて、儚さや寂しさも感じられるいい歌だと思った」と述べた(両名とも歌集をもっていなかった)。
 確かに、ユキノが挙げた二首だけを見れば、「救いにも似た黄の色」を持つ風船が空に昇っていく光景が描かれており、「風船=希望」ととるのが素直な読み方であるように思える。
 しかし、歌集で20首をまとめて読むと、
幼な子の手をすり抜けて風船はゆらりとゆれて、ゆらりと(そら)

で始まった一連は、中〜終盤の7、9、10、16首目

満月と見紛う黄色い風船が浮かぶ 狂えぬものとはぼくだ
日常の消失点を待ちわびている風船の導く先を
打ち落とすべき標的が浮かび来る黄の色を射よ日常を射よ
救いではない 黄色い風船を輪ゴムの銃で撃ち落とすのだ

で、黄色い風船=希望が、日常を手放すことと等価な狂気や、それにつながる死によって得られるものであることが暗示され、撃ち落とす/されるべき標的であることが命令形と強い言い切りをもって示される(同じイメージは水沢が挙げた17、18首目からも窺える)。
 これらの歌がid: nakazawakei_botに所収されていないわけではないと思う。しかし、前後のツイートとは無関係にランダムに流れてくる一首をときどき偶然目にするのと(さらに言えば、twitterの特性上、前後に表示される内容自体も個々のユーザによって異なる)、歌集の中の章/連作というかたまりで読むのでは、読み手が歌から想起するものは自ずと異なる。
 中澤の短歌全体の印象についても「一首単位で読んでいたときは頭が良くてシニカルなひとだと思っていたが、歌集で読んだらそれ以外の面もあったので五首選はそちらから選んだ(野比益多)」「怒っているひとかと思ったら意外と歌を楽しんで作っているのがわかった(飯田和馬)」という意見があり、botで読む/知ることの危うさを改めて実感させられた。
 前述のとおり、今回の読書会には生前の中澤と交流のあった歌人は参加していなかったが、この歌集が何らかのかたちで復刊され、中澤の作歌中断以降に短歌を始めたひとたちに広く読まれること、さらに復刊を機に生前の中澤を直接知るひとたちの話を聞く機会が生まれることを切に願う。
 なお、id: nakazawakei_botの運営主体や選歌基準(きちんと調べていないが、『uta 0001.txt』のすべての歌を網羅しているわけではないように思う)は明かされていない。あくまでも一首の歌がランダムに送信されるだけで、tweetの発信者名としての「中澤系 @nakazawakei_bot」、twitterのなかでの目印となる#tankaと#jtankaという二つのハッシュタグ以外の情報はない。この行為は明らかに著作権の侵害にあたると思うが、その一方で、このbotが中澤の歌の新しい読者を生み出しつつあるのも事実だ。twitter、bot、Ustreamなどが短歌に及ぼす/及ぼしつつある影響についても今後きちんと検証していきたいと考えている。

*1 「中澤系プロジェクト」(id: nakazawakei_pro)については以下のサイトまたはtwitterを参照されたい。
  http://www.checkpad.jp/projects/show/1153227
  https://twitter.com/nakazawakei_pro

*2 Ustreamはインターネットを使って無料で動画を個人が生中継できるサービスである。読書会当日の録画が以下のサイトに公開されている。
  http://www.ustream.tv/channel/nakazawa-kei-project

*3 1時間に1回『uta 0001.txt』から選ばれた一首をランダムに自動で送信するプログラム(https://twitter.com/nakazawakei_bot)。 運営者不明。2012年9月1日15時現在、フォロワー数(ランダムに送信される一首を受け取れるように登録しているユーザの数)は547名である。

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One Response to “短歌時評 第68回 牧野芝草”


  1. 水沢ひでみ
    on 9月 14th, 2012
    @

    取り上げていただいた水沢ひでみです。

    補足で申し上げますが、読書会を行うにあたり、歌集を持っていない参加者に最初に渡されたテキストはTwitterのボットから引く前に、ご遺族のご好意で歌集から抜粋された214首です。抜粋された基準や、掲載の順が本とどれだけちがうかはわからない状態で読みました。その後、読書会の11日前に田中ましろ氏からボットからの378首のデータを入手しましたがわたしはこちらはあまり精読できていませんでした。 ですので、私がボットの引用する歌からなにかを感受したかといえば違います。あくまで214首の中の風船、黄色という単語が入った9首に見出した感想です。
     そのことをお含みおきいただきたいと思います。
    ありがとうございました。

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