短歌時評 第71回 田中濯

夏の第一歌集                   

今年はどうやら歌集豊作の年のようだ。特に、男性歌人が元気であるのが珍しいような気がする。ごく最近刊行された歌集を見てみても、『燕麦』(吉川宏志)は今年屈指の歌集であったし、『関係について』(生沼義朗)も優れた歌集であった。率直に言って、どの本を紹介すべきなのか迷ってしまうのだが、ここではこの夏に刊行された第一歌集を二冊に絞って考えてみたい。

まずは七月に刊行された『北二十二条西七丁目』(田村元)である。

ドトールで北村太郎詩集読み、読みさして夜の職場に戻る
()()を行く一小隊に若鮎のやうな詩人が ゐないと言へるか
品川は鮫洲の春や弥次喜多の残して行きししやれのあかるさ
めづらしくわれは水平に酔うてゐし豊後水道を遠く眺めて
ふるさとの馬鹿と叫べば馬鹿ぢやねえ馬だと返すぐんまちやん

「北二十二条西七丁目」は田村が学生の頃に住んでいた住所とのこと。この歌集は律儀に編年体で組まれており、かなり若書きの作品から現在の作品までが収められている。その年月は十年以上となり、歌を吟味してみると、かなり早い段階から技術的にはほぼ十全となり、人生が定まっていく後半から歌に面白みが増すのがわかる。北村太郎を読む読書家で、中東の兵士・民兵に思いを馳せていた若者が、サラリーマンとなり日々苦闘するなかで、酒を覚え、『東海道中膝栗毛』なぞを読むようになり、結婚もし、自身の出身地である群馬への思いを新たにする。これは男の加齢のある種の典型ではあるだろうが、根の明るさというものがあり、これが実に大きなファクターになっている。現在的な第一歌集は、若々しさの裏側で、ベクトルとして自閉的というか、「相聞」に拘泥しすぎたりなどと視野が狭いところがあるものだが、本歌集にはそれがない。器の大きさや健やかさを感じさせて、たいへん良いと思う。

これに対するはごく最近刊行された『窓、その他』(内山晶太)である。

降る雨の夜の路面にうつりたる信号の赤を踏みたくて踏む
鍼灸院の案内板のうらがわの錆を思えり雨のなかにいて
夜のみずながれてあれは鼠なりなめらかにありし二秒の鼠
布のごとき仕事にしがみつきしがみつき手を離すときの恍惚をいう
頭よりシーツかぶりて思えりきほたるぶくろのなかの暮らしを

この歌集において、歌の並びは編集されており、いわゆるビルドゥングス・ロマン的なものを付与する気はない、ということが宣言されている。そのため、個人的な来歴の披露はあらかじめ拒否されており、明確な他者は存在せず、自問自答の傾向が強い。その意味では、こちらのほうがより典型的な現在の第一歌集といえるだろう。技術的には初めから完成されていて、隙はないが、若干語彙が少ないように思う。例えば、例歌は「雨」や「夜」の歌を挙げたが、当然タイトルの「窓」の歌もあり、あるいは季節の「秋」もあるが、これらの基本的な歌語は、かなり強くシンボリックに取り扱われ、抽象化されており、単語の交換がたやすい歌が多くなっている。塚本邦雄は、この「交換可能性」を制限するために、使用する単語については初めからマニアックなものを採用した、と私は考えているのだが、本歌集はそのあたりへの配慮がやや足りていないと考える。とはいえ、鍼灸院の歌のような感覚や仕事への喩、あるいはほたるぶくろなど、はまった歌の爆発力には素晴らしいものがある。田村を秀才型とするなら、内山は天才型とするべきだろう。個人的には、『窓、その他』には「汚い単語」を使った歌が数首あり、それが読者への一種のサービスであるのか、それとも自身の歌の選択肢の担保であるのか、あるいはそれ以外の理由であるのか、興味をもった。切り口がたくさんある、ということは、もちろんよい歌集であることの証明のひとつである。

以上、今夏に刊行された男性の手による第一歌集を二冊取り上げた。この二冊は明確に優れた歌集であるが、この他にも議論に値する歌集が立て続けに刊行されていることは述べておかなければならないだろう(『日本の中でたのしく暮らす』(永井祐)や『さよならバグ・チルドレン』(山田航)など)。本稿で触れることがかなわなかったことを謝罪しておきたい。これまた個人的な印象なのだが、短歌の世界も、そろそろ潮目が変わってきたのではないかと考えている。十代や二十代前半の作者がいきなり歌集を出すのではなく、三十代の手による第一歌集が増えてきたことは、昨今の経済情勢を反映している可能性はあるが、それはむしろ短歌にとってはよいことであるようにも、私は思っている。

タグ: , , , , ,

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress