短歌時評 第75回 田中濯

地味な話

「歌壇」11月号の特集は「晶子と白秋、没後70年」であった。ああ、そうであったかと思う。70年、というのはあまりきりのいい数字ではないような気もするのだが、過去のレジェンドを振り返るよい機会になるので、あまり固いことは言わないでおこう。このような企画は、各総合誌で来年も続くであろうから、先回りして来年に取り上げられるであろう歌人たちをざっと調べてみた。

釈迢空 没後60年
近藤芳美 生誕100年
高安国世 生誕100年
寺山修司 没後30年

これらのひとびとはおそらく取り上げられるだろう。特に、寺山修司が亡くなってもうすぐ30年も経つのだ、ということと、寺山が50歳に満たず亡くなっていることを改めて知り、感慨深かった。寺山にとって、短歌はその活動のほんの一部分でしかなく、にもかかわらずその存在についてはほとんど伝説化されている。いかにも虚構に生きたひとらしいと思う。まだ先の話だが、特集を期待して待ちたい。

さて、「歌壇」11月号をじっくり読んでみたところ、感心したのは、歌では「花尽くし」(澤村斉美)、文章では「評伝 會津八一」(山田富士郎)であった。本稿では、文章のほうに注目してみたい。

さて、會津八一とはそもそも誰か。おそらく、多くのひとは、その代表歌やあるいは人物のイメージを抱けないのではないだろうか。私も、短歌作者必携の書である『現代の短歌』(高野公彦・編、講談社学術文庫)の最初のほうに載っていたこと、ひらがなばかりで読みにくいのでほとんど読み飛ばしていたこと、などたいへんお粗末なエピソードを語るしか術はない。そのような「事情」もあり、山田富士郎の連載には長く注目していた。

既に32回を数える連載の今号の眼目は、八一の博士論文についてであった。八一の生活の道は美術史教員で、戦前に早稲田の教授をしていた。八一の博論は法隆寺に関するものであったそうである。山田は、バックグラウンドである法隆寺にまつわる論争史を手際よくまとめて紹介し、そのうえで、八一の博論の現在的意義やその筆致について述べる。このあたり、手練の文章である。ともかく地味な話、興味がないむきにはまるで訴求力をもたない話、詳しく話されてもむしろこちらが困るような話を、一切レベルを落とさず、瑞々しく書ききっている。今号では、短歌の「た」の字も出てこないのだが、雑誌に一本ぐらい、これくらい超然とした連載はあっていい。率直にいえば、會津八一の評伝を書く意味や残す意義、というものが、私にはいまだによくわからないところがあるのだが、読み物として端的に面白い以上、読者としてはただ読んで喜んでいればいいだけの話ではある。

「歌壇」は以前にも、川野里子による三年にわたる長い連載を、『幻想の重量 -葛原妙子の戦後短歌-』という著書に結実させた実績がある(第6回 葛原妙子賞)。この山田の連載もいずれは一冊にまとまるのだろうと期待している。そのとき、この「地味」な連載は、然るべき評価を得ることになるのだろう。

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