第100回ガルマン歌会あれこれ 山階基

 2011年11月6日、まばらに雨が降る曇り空の下で、ガルマン歌会の100回記念歌会「Galman of galman」は開催された。

 私は、早稲田短歌会の一員としてこの歌会に参加した。早稲田短歌会の面々はお手伝いスタッフとして、会場までの道案内のため最寄り駅からの道のりにしばらく立っていた。いわく歌人という生きものはとにかく道に迷いやすいらしい。私は西早稲田駅の駅前で「ガルマン→」と書かれた紙を持って待機した。しばし経って、一人の参加者の方が駅から出ていらっしゃって、丁寧に挨拶してくださったのを覚えている。その後、二人組の若い男性に「ガルマンって何なんですかあ」と話しかけられて驚いたが、謎の単語が巨大なゴシックで印刷された紙はいやでも通行人の目を引くのであった。

 会場に入ると、スタッフ用の「galman STAFF」と書かれたお洒落なカードを首から下げてもらってなんだか上機嫌になる。会場のようすを見て、短歌に関係しているひとがこの空間にこんなにたくさん(あとで数えたら60人強!)いるのかと思うとくらくらするようだった。参加者はあらかじめ7つにグループ分けされていて、自分の名札が置かれた席に着くように指示された。私は第7グループの卓に着いた。

 しばらくして開会のあいさつ。ガルマン企画スタッフの堂園さんからの開会のことばが何故か谷川さんによって読まれるという奇妙なあいさつだった。のち、今回のルールが説明された。事前に聞いていた通り、この歌会は1次予選歌会と決勝歌会の二部構成で行われる。とにかくたくさん票を集めた作者が勝ち残って決勝へすすみ、優勝となるという対戦方式、いわゆるバトルロイヤルだ。それまで歌会で票を入れることはあっても、純粋に票数を競う形式の歌会ははじめてだった。しかしまあ特に気負うこともないのではないかなというくらいのつもりでいた。開会式では「twitterでどんどんつぶやいてください」ということでハッシュタグ「#galman100」も設けられた。このハッシュタグの付いたつぶやきはここ(http://togetter.com/li/211093)にまとめられている。

 そして1次歌会がはじまった。第7グループの司会進行は山崎聡子さん。メンバーは西崎憲(フラワーしげる)さん、野口あや子さん、廣野翔一さんなど九名。それぞれの簡単な自己紹介のあと、無記名の歌稿から2首に投票して、開票しないまま歌稿の1首目から順に評をしていくという流れ。私は佐々木遊さんの歌と山崎聡子さんの歌を選歌した。(歌会において提出された短歌は原則として「未発表」扱いになるため、ここでは触れることができないのが残念。)

 評をきいていくなかで、普段参加している(早稲田短歌会の)歌会とは違うものを感じた。それは、ひとつの語からイメージをどんどん引き出してゆく読みかたであったり、歌を読んでいくときの切り口であったりで、具体的にはうまく言えないものの、あたらしい短歌の読みかたに触れていくようで、頭をフル回転させる時間となった。1次歌会は、司会の山崎さんのゆったりとしたすすめかたのおかげで、評はきっちりとなされながらも終始とても和やかな雰囲気だった。

 評がひととおり終ったのち改めて投票の機会が設けられ、票の移動もみとめられた。開票の結果、何かの拍子に5票をあつめた私が予選を通過し、第7グループのファイナリストになった。この報告を書かせていただいているのもその縁だ。その後は解題にうつった。解題というものはとても難しいと解題をする度に思う。今回も、まずは評してくださったみなさんにお礼を述べて、解題は作歌した機会についてごく簡単に触れるにとどめておいた。上手な解題とはいったいどんなものなのだろう。

 決勝歌会前には30分ほどの休憩時間がとられ、参加者には「ちゃんと帰って来られる範囲において」自由行動がゆるされた。この日は早稲田大学の大学祭の2日目で、大学に程近い会場の周辺がたいへんごったがえしていたこともあるのだろう。会場内の参加者たちは、久々の相手と談笑したり、予選のようすを報告し合ったり、はじめて会う歌人の方々に恐縮しながら挨拶をしてまわったり(私もその一人だった)、終始にぎやかなようすだった。そして、着々と会場フロアは決勝戦にむけてセッティングされていった。ファイナリストが囲む卓と椅子をぐるりと取り囲むようにオーディエンス席が設置され、7人ぶんの名札は中心の卓に並べられた。私にとっては見知った名前がいくつか並んでいて安心するとともに、油断できないなあという心持ち。

 そしてはじまった決勝歌会。ファイナリストは太田ユリさん、黒井いづみさん、小島一記さん、服部真里子さん、平岡直子さん、吉田恭大さん、そして私。司会は染野太郎さんが務めてくださった。なぜか「決勝歌会」の文字が不吉にかすれた歌稿が配られ、ファイナリストにマイクがまわって自己紹介をするなかで、改めてオーディエンスの多さをしっかり意識して、すこし辟易してしまった。

 決勝は予選とは異なり、票を入れないままで歌会が進行する。1首目から順番に歌を扱っていくのだが、卓にマイクが2本設置されていて、「喋りたいことがある人はマイクをうばい合ってください」とのこと。司会の染野さんが指名することもあったけれど、基本的にはファイナリストたちからマイクに手を伸ばして、マイクは卓の上を行ったり来たりといった様子だった。早稲田短歌会の外部の方の評を聞く機会は滅多にないからと思って必死に耳を傾けるとともに、せっかくだからここぞとばかりにたくさん評をした。私は赤地に白の縞の服なんか着て「ウォーリー」の詠まれた歌の評を一生懸命したものだから、しばらく「ウォーリー」と呼ばれる羽目になったりもした。評を戦わせる、というわけではないけれども、やはり全く違う読みや評価があらわれるのが歌会のおもしろいところだなあと思う。短歌におけるロマンチックさの是非やリアリティがあるべきか否か、また詠み込まれた語について知識があるかないかで読みの広がりが変わってしまうことなどについて、意見が真っぷたつに割れたり双方の意見を思いっきりぶつけ合う場面もありながら、白熱した議論がつづいた。うまくコメントのバランスを取り、タイムキープをしっかりこなされた染野さんの鮮やかな司会進行も見どころだったように思う。なによりも、「歌会は面白い、それがマナー」というガルマン歌会のスローガンにのっとった、とてつもなく面白い歌会だった。

 そんな決勝歌会でもうひとつ注目しておきたいのは「観客応援マイク」。ファイナリストたちのディスカッションが終了したあとに、オーディエンスにも感想やコメントの機会が用意されていたのだ。穂村弘さんや天野慶さんなどがマイクを取られた。天野さんから(世代が)新しい歌会なのに使われる批評用語が更新されていないということに対する違和感についてのコメントがあったのが印象的だった。

 その後、ファイナリストは2票ずつを投じ、その合計にオーディエンスの投票結果が加えられて集計され、優勝者「初代galman of galman」に選ばれたのは吉田恭大さんだった。準優勝は平岡直子さん、第三位は太田ユリさん。われらが早稲田短歌会の先輩が上位二位を占めることになった。優勝記念品は「galman of galman」の金文字入りの格好いいボールペンだった。

 その後、オムライスとパスタのおいしいお店で打ち上げがおこなわれた。歌会会場をはるかにこえる歌人口密度で、ある意味ものすごい空間が出来上がっていた。どさくさにまぎれて私の参加した早稲田短歌会2年生の同人誌「はならび」を頒布させてもらったこともあって、そこでもたくさんの方とお話ができてとても楽しい時間をすごせた。翌日は朝から授業だったので、2次会の後はすぐに家に戻ったのだが、自分はまだまだ子どもの歌人なんだなあ、とtwitterで何気無しに口にしたところ、すかさず先輩に「子どもの歌人なんていない。同んなじ場にいる限り今日の参加者のみなさんも山階もひとりの歌人で、そこに差なんてない」と言われたのをはっきりと覚えている。

 歴史に残るであろうガルマン歌会100回記念歌会に参加できたことをうれしく思うし、200回めの記念歌会にもきっと参加したい。これからも短歌を続けていける、続けていこうという気持ちをつよく得られた素晴らしい機会を与えてくださった企画運営メンバーのみなさんには心から感謝したい。

作者紹介

  • 山階基

2010年春、大学入学と同時に上京、早稲田短歌会に入会。歌歴およそ2年。

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