戦後俳句を読む (22-3) ― 「幼」を読む ―   堀葦男の句   / 堺谷真人

鉄のけものら橋ゆすり過ぎ酢を抱く子

『機械』(1980年)所収の句。

『機械』は第一句集『火づくり』に続く第二句集。1962年夏から1967年秋に至る約5年間の作品から444句を収録している。「機械」「太陽」「渦潮」「蝶宇宙」「母」「赤道草原」「修羅」「水辺」という8章構成の劈頭に置かれた「機械」のこの句およびその前後の作品には、「海程」草創期の葦男俳句の特徴がよく出ている。すなわち大阪から神戸にかけての工場、倉庫、港湾、建設現場などに取材したとおぼしき、産業俳句ともいうべき作品群がそれである。当時の葦男作品は重量感に富むメタリックな形象に満ち、行間には高度経済成長を牽引した様々な機械たちの稼動音や軋みが通奏低音のように鳴り響いているのだ。

 
燃える冬霧機械ぞくぞく被覆脱ぎ
機械焦げるにおい夕空薔薇を溶かし
ルビーにまさる夜の起重機の灯を動かす
重い上げ潮 動くものみな装甲され

さて、本稿冒頭の句である。

積荷を満載したトラックや建設用重機が陸続として渡る橋。可載重量ぎりぎりの荷重を受けて揺れる橋梁。ふと視線を移すと、騒音と土埃が立ちこめる橋のたもとには、お遣いの帰りなのであろう、酢の壜を抱いて立つ子どもの姿があった。

荒々しい車列の傍らにぽつんと点描された子どもは一見、寄るべなく痛々しい。しかし、彼もしくは彼女は単に無力な、庇護すべき弱者なのであろうか。否、そうではあるまい。酢の入った壜を両の手にしかと抱く子どもは、れっきとした家事労働の一翼の担い手なのであり、「酢を抱く」という構えはその子の責任感の表れに他ならないからである。

そういえば、赤塚不二夫の代表作「天才バカボン」にこんなギャグがあった。ママから豆腐を買って来るよう頼まれたパパが用件を忘れないよう「トーフー、トーフー、トーフー・・・」と口ずさみながら道を急ぐ。が、いつしか逆転して「フートー、フートー、・・・」となり、最後は文具店に飛び込んで「封筒ください!」と叫ぶのである。

恐らくこのギャグの背景にあるのは「お遣いという役割を通じて社会化してゆく子ども」という一種の成長モデルである。幼児は大人や年長者の庇護を片務的に必要とする存在であり、原則的にお遣いを任されることはない。一方、幼児期を脱した子どもはお遣いを頼まれるようになる。いや、初めてお遣いを頼まれたときに人は幼児期を卒業するのだともいえよう。年齢や体格、IQ検査で測られる精神年齢などはなるほど子どもの成長のメルクマールとして重要であるが、親や年長者の側が子どもに何を任せるかという観点も実は同じくらい重要なのである。

橋のたもとの「酢を抱く子」は無事に家に帰り着いたであろうか。

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