戦後俳句を読む(3 – 1) ―私の戦後感銘句3句(3)― 楠本憲吉の句 / 筑紫磐井

天に狙撃手地に爆撃手僕標的

 狙撃手は文字通り鉄砲で標的を狙うプロフェッショナルだが、爆撃手はあまり聞いたことがない。軍隊用語で言うと、航空機爆撃の際の爆弾投擲の専門家(標的に合わせて爆弾落下の条件を設定する者)を言うらしいが、なぜ「地」なのか。むしろ障害物を破壊する爆薬筒を匍匐しながら運んだという爆弾三勇士のようなものがふさわしい。しかしこの爆薬筒という武器は工兵部隊が使うもので、敵陣や鉄条網、地雷を爆破する兵器であるから人を標的にすることはない。調子よく読み進めるのであまり矛盾を感じないが、調子に騙されて論理はよくつながらない。逆に言えば詩歌は調子さえよければ論理など重要でないことの証拠になるかも知れない。「天に狙撃手」「僕標的」、要はこれだけを伝えればよいのだが、調子よく対句を使って明るい戦場を描いている、いや戦場のような環境にある人生をカラリと描いている。爆撃手は判然としないものの、いずれにしろ、僕の命を狙う危険な奴ばかりだからだ。これも前回同様62年の作品だから晩年の作品、死の前年の作品である。死の標的は自分である。「死ねばただ一億分の一人 水引草」「冬バラ瞑想「侮る勿れ汝が死に神」」などが同年作品であるが、論理的であるだけ詩歌としての飛躍がなく感銘句にあげるようなものではない。

 62年の作品としては前回の「郭公や」とこの「天に狙撃手」をもって憲吉の代表句としてあげておきたいと思う。63年、なくなる年ともなるとさすがに入院生活が続くためか、師の草城の晩年のような沈痛な句が見られるようになるが、これは憲吉にふさわしくない。憲吉の晩年は明るく調子よく軽薄であってほしいのだ。

 そもそも憲吉は師の草城をどう見ていたのだろうか。55年にこんな句がある。
師の句いよいよ懐かしかぐわし草城忌

 前回、堀本・北村と「戦後俳句史を読む」で草城と憲吉の比較を論じてみたところであるが、これは憲吉自ら草城についての感慨の一句である。論評と違って、本当に草城のすべてを現わしているかどうかは不明であるが、かえって散文の論理を越えて直感的に草城の一面を描いている的確さがある。憲吉にとって「かぐわし」い存在の草城は決して晩年寝たきりの草城の姿ではないだろう。やはり大正末期から昭和初期にかけての、才気溢れた草城、それこそ「ミヤコホテル」を詠んだ草城ではなかったか。当時相変わらず憲吉はこんな句を詠んでいる。

女体塩の如くに溶けて夜の秋 52年
若き人妻春昼泳ぐごと来る  53年
風花やいづれ擁かるる女の身 55年

 まるで「ミヤコホテル」なのである。

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