戦後俳句を読む(12 – 1)  ―「記憶」を読む―  楠本憲吉の句 / 筑紫磐井

汗ばみ聞く故人の古き恋歌を

53年7月、『方壺集』より。

亡くなった人の歌う恋のうたを聞いているのだが、その歌の流行った時代が思い出されて、静かな室内におりながら次第に汗が吹き出してくるようである。この故人は、水原弘。昭和10年生まれ、昭和34年「黒い花びら」でデビュー、大ヒット曲となり第1回日本レコード大賞を受賞した。その後低迷するが、昭和42年「君こそわが命」で復活。酒豪であったと言われ、それが原因で昭和53年7月5日、42才でなくなった。

憲吉が水原弘と面識があったかどうかはわからないが、俳人というよりは、タレントとしての活躍が目覚しかった後半生にあっては出会いがなかったとも言えない。年齢的には一回り下であるが、老成した水原弘は憲吉と同世代人と錯覚してもおかしくない。

歌謡曲はとりわけ時代を想起させるが、「故人の古き恋歌」と言えば、やはり「黒い花びら」になるだろう、汗ばんで聴くのにふさわしい歌だ。そしてその時代にはこんなことがあった。

 
南極からのタロー、ジローの帰還
少年マガジン、少年サンデーの創刊
皇太子(現天皇)ご成婚
王貞治の初ホームラン、長嶋茂雄が天覧試合にサヨナラホームラン
児島明子ミス・ユニバースに
伊勢湾台風来襲、空前の5000人の死者
水俣病のチッソの有機水銀に由来することが判明
 

昭和34年とはこんな時代であった。やがて、安保闘争、三池争議という熱い政治の時代を迎えるようになる。暗さ明るさのないまぜになった時代を「汗ばむ」と形容するのは誠に適切な措辞であった。

では、これはだあれ。

歌姫の歌も豊かに夏に入る

昭和55年6月、『方壺集』より。

これはペギー葉山。水原と違い、憲吉とペギーは確かに面識があったようである。

ペギー葉山は昭和8年生まれ、水原より3歳年上であるが、今も元気でいる。水原の「黒い花びら」の出た同じ34年に「南国土佐を後にして」が大ヒットした。また水原と違い、「ケセラセラ」「学生時代」「爪」「ドレミの歌」「ラノビア」など息長い活動を続け、日本歌手協会会長も務めた。

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