バルバロ   望月遊馬


バルバロ   望月遊馬

いつでも蟻がいた。白い土地を流れていく。飛行場のちかくの、ひまわりの咲く庭に蟻が
いた。蟻は、剃刀の刃をあてられて、そのさしわたしを這っていた。緊張の糸が切れると、
蟻は刃に刺さって死ぬ。血ではないものがにじむ。スコップで蟻をすくうと、いっとき剃
刀がふるえる。空は透きとおって、呼吸をすると肺が冷たい。蟻と蟻が、くっつく。カニ
バリズムがあった。人間が人間に食べられる。鍋で、煮ている。体の一部を切り取ってい
る。空の雲は、どれもが人間の体の一部になる。新聞記事があって、そこには蟻の大群が
いた。羽蟻もいる。父から聞いた話だが、昭和のころの飛行場の近くには造船所があって、
木谷の本家のまわりには防空壕があった。中川回櫓店のまえのアクスには鯔が泳いでいた。
マボヤ。海栗。ヒトデのような祖母。アクスのなかで鯔は飛んだ。飛沫があがった。鯔と
鯔は共食いをするのだろうか。蟻を、何マイルも抱きかかえている。電力や、体力では、
あの平原にはいけないという。蟻は、わがままで、ロードバイクでサボテンの生えている
土地を、夜もかまわず走った。交尾後、オスはメスに食べられて、産卵後、メスは子ども
たちに食べられる。虫たちはいつもそうだった。本能的に、優先順位があって、そのひか
りのような尽力があった。鯔は、あらぬ方角を見ていた。蟻は、蟻を食べるのだろうか。
ヒトが、ヒトに食べて欲しいと懇願するのは、こっけいなのか。あの飛行機は、オースト
ラリアにいくはずだった。メルボルンの雲は白く、まぶしかった。石が、飛行場までつづ
いている。アートのように、ガラスの刺さったそれらは、ひかりを反射して、その粒はち
らばった。手のなかを、ハレーションが抜けていった。蟻は、ナイフとフォークをつかっ
て、丁寧に、蟻を切り刻んでいった。裕福で、明るい家庭の光景だった。エプロンをして、
どこかの国のニュースを見ながら、家庭菜園のハーブを摘む。会社に行って、学校に行っ
て、どこにも行かなくて。月が朝には沈もうとしていた。さびしげな鯔は、クレーターの
形と似ている。蟻が、蟻に、食べられるような、そういう空間があった。平原は真っ白に
なって、アクスがいくつも出来た。雲のうつらない、つまらなそうな顔。突然、低空飛行
をした航空機が抜けていき、飛行士の姿が見えた。蟻たちは、風にあおられ大空に舞いあ
がった。ひとつ、ひとつの、触覚が、肢が、空の青さに吸い込まれていく。スローモーシ
ョンのように、無数の蟻たちが雲の高さへと消えていく。なかには暴力的な蟻がいた。平
和的な蟻もいた。どの蟻も、いやというほど空へとあがり、その後、地面に思いっきり叩
きつけられた。日光浴をする体力や気力といったものが、その後の幻想によって、ことご
とく破られた。これを書いている背後でも、虹の服を着た人がいる。破壊行為がたえまな
い。舗装された道路を、サンダルで歩いていた。学校が始まるのは一ヶ月後。そして、夏
休み。梅雨入りするまでに、資料を作成しなければならないと、周囲が慌てていた。暇で
はなかった。だが、ずっと家にひきこもることにしたかった。ベッドのなかで眼をひらき、
靴下をはいたままであくびをすると、声がへそから漏れた気がした。学校のカフェで、い
つもの麺をたべるときの口角のこと、あなたの口角のことが新聞記事になればいい。わた
しはそのときにもマンションで深い深い眠りについているから。

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