荒川、タヒチーの村  広瀬弓



荒川、タヒチーの村  広瀬弓

あれからまた春が過ぎて 
龍が飛び去った先は 
荒川であると 
わたしの内の声が応えた 
 
モシモシモ、シモシ、モシモ     
湖底に沈んだ村と電話がつながることば 
わたしは二本松の八幡神社で 
水神塔を見つけてとてもうれしかった 
 
湖底に沈んだ村 旧津久井郡太井村荒川地区 神奈川県と横浜、川崎、横須賀の三市により城山ダムが完成 わたくしたちはダム建設という大きな事業の犠牲になったわけで ふるさとのことを思うと今でも涙があふれてきます 
移住者の代表責任者だった相模野幼稚園の園長先生は、毎年このスピーチとクリスマスのサンタに扮するのを死ぬまで忘れなかった 
 
 あの頃桜狩りに 
 荒川の上流に舟を浮べ 
 モーパッサンを読む 
 夕陽に蘆の間に浮かぶ 
 下駄の淋しき(「旅人かへらず」より)          
 
「旅人かへらず」の荒川は水没した 
 この村は街道からみると殆ど気づかぬ程のものであるが 
西脇順三郎の光きらめく川下り 
 実は非常に美しいカーヴをもった谷が湾をなしている 
異国の楽園という幻影をかさねて 
 樹木と草花と水流、白い砂地、土地の子供の裸の色などは 
乗る人も降りる人も見かけたことのない 
 どうしてもゴーガンの絵に出ているタヒチーの村である 
砂という名のいつも気になるバス停 
 特に谿流の岸は海岸と等しく、砂の堆積で、一つの砂丘を形成し 
その不思議な名の由来をわたしなりに物語した 
 エノキや南洋でなければないような樹が繁り紫の影を投げている 
(「ゴーガンの村」より) 
 
モシモシモ、 
二本松の八幡神社に電話がつながる 
水没の村から遷座した水神さま 
モシ、モシモ、 
エノキの風、風が鳴り影法師はのびて 
水底の小学校は水面を見上げる 
見上げる環から降りそそぐ、そそぐ光へ返すことば 
おかえり、 おかえり、 おはいりなさい 
聲のひろがりかさなり環の中へ 
すいっと 
入水する龍は鼻先から魚の象へ 
太い魚の象はすでに廃屋の影に消えて 
モシ、モシモ、モシモ 
御山に  空けたか です ? 
 路が水 をじゃ し し か 
御神木    のは嵐の わ  すか? 
台風は何 生  のでし う? 
 射能雨  っ  しょう   
わたし ち じ そ 大地を揺らし の すか? 
 
モシモシモ、シモシ、モシモ 
 
   
荒川の影 
廃屋の太い魚の 
 
御意。

タグ:

      
                  

「作品2012年6月22日号」の記事

  

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress