夜の歌(セイレーン) 伊武トーマ


夜の歌(セイレーン) 伊武トーマ

そのころ、私の夢の中に女が姿を現した。
           吃音で、やぶにらみで、足は曲がり、
           両手はともにもがれてなく、顔色は蒼ざめていた。
               (ダンテ「神曲」煉獄篇・第十九歌より)

 

真夜中 
闇に浮かぶ美しい鹿をみた。 
車のヘッドライトかと思いきや 
光の球が頬をかすめて行った。 
 
時計の針が午前二時を差すあたり 
自分で自分を持て余し 
眠れぬ夜に爪を立て 
ひとり鏡の前に立つ。 
 
濡れた頬は蒼白く 
顔面はまるで廃墟のよう。 
鏡の向こうで微笑んでいるのは 
灰色の目をした幸福の王子… 
 
ひゅるりらと 
低いツバメが私の頬をかすめ 
鏡の向こうで微笑む 
王子の元へと舞い戻る。 
 
ひとかけらの輝きもなくし 
全身鉛色となるまで、与えても 
与えても、まだ何が足りない? ああ 
愛が足りない。 
 
誰もが背負わなかった 
重い荷物背負った王子の肩から 
ツバメははばたき、ふたたび 
鏡の前に立つ私の頬をかすめて行った… 
 
ツバメはどこ行った? 
愛が足りない私の頬を濡らし、低く 
低く、夜と夜をつないで 
ツバメはどこ行った? 
 
1+1=1 
1=1‐1 
ツバメの航跡が風を呼び 1=1 
風は、夜をめぐる歌を呼び 
 
鏡の向こう、微笑みは消え 
幸福の王子は去った。 代わって―― 
私の傍らに寄り添い、影のように佇む 
鹿の目をした美しい女よ…

(Anna Saitoに。ふたたび)

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