メモ 池田澄子

メモ 池田澄子 1
メモ 池田澄子 2
メモ 池田澄子 3


メモ   池田 澄子

林さんの「ひらひら」は物悲しくて好きだったなあ、と思い出した。あれには何かがそそられた。思い出して、またそそられる。そそられるけど、うーん、それって真似よね。それは兎も角、林さんは、人の為に喧嘩の出来る人だから信用できると思っていた。

橋から橋まで花から花へ花暗がり

「未定」に入会したのは随分昔で、佳い句が作りたくて一所懸命だった。「俳句研究」を読んで憧れていた若い先輩が何人もいらして、年上のシンマイの私に、みんなきらきらしているように見えた。そんな私を三橋先生が横で黙って見ていらした、と感じていた。

飛行機が真剣に浮く花の街

「未定」の編集をして、編集はけっこう好きな仕事であることも知った。堀本さんの堀が「掘」になっていて、校正はタイトルや氏名を見落としやすいことを学んだ。次の誤植では当人に呼ばれて呑み屋さんへ行き午前二時半まで。編集の期間を終え「未定」を退いた。

例えば業が深くて旬の蛍烏賊

攝津さんが、じゃ「豈」ね、と言って下さって、一年待って「豈」に入って、そしたら攝津さん死んでしまって、思い返すと今も呆然となる。そしたら三橋先生も死んでしまって。生きているとは死なれること。自分が死ぬまで人に死なれ続ける。やだなあ死なれるの。

花冷えや真夜の小島へ誰と行こ

祈ることがある。それは心細いときで手前勝手。祈る相手はどの神様でもどの仏様でもなく漠然としたもの。それは自分を守りたい欲だから敬虔な祈りとは言い難い。時に天に向かって無心になることがある。何を願うわけでもない呆然としたそれは、祈りに近い。

信仰や土埃たつ春のくれ

遠くの人を思うとき、その遠くの人は私を思ってはいない。思いは届かないものだ。知らずに思われていることがあるとしたら有り難いことで、でも、それは分からない。昨夜、私が夢で見た人は、そのことを知らない。何を女の子みたいなこと言ってるのさ。

貴台におかれましては春を夜の余震

へー、私こんなこと書いちゃったと一瞬ニヤッとすることがある、ほんの偶に。すると次の瞬間なにも怖くなくなる。それは、誰にも褒められなくていいからだ。不安な句は少しでも褒められるとホッとする。あまり褒められると、困って居た堪れなくなる。

蝶でも矢でも雀の鉄砲でも飛んで来い

ミイラを見た。彼は見られていることを知らないから見られたくないとは思ってない。知らぬが仏で、知ったら嫌なことや、想像できることもあって、生きてると怖いことがいっぱいだ。一番怖いのは人を嫌いになることで、幾つになってもそこのところ進歩なし。

蝶ひらひら老女ひやひや古びつつ

この人、いま私を苛めてるんだ、と思いながら話を聞いていることがある。この人も心細いのかと、いじらしく切なくなる。蝶を嫌いな人がいる。鱗粉が怖いらしい。蝶は鱗粉を知っているか。昨日の私は今日の私を知らなかった。あったりまえ。なに言ってんだか。

八重雨のあとや葎に触らぬよう

誰も私の俳句を読みたくて待ってはいない。ところがほんの偶に、遠くの知らない人が受け取って下さっていたことを、何年もあとになって知ることがある。そういう時、あぁ神様ありがとうございます、と思う。神様は忙しくて、呼ばわれ疲れしておられるだろう。

缶詰の魚の辛抱夏に入る

執筆者紹介

池田澄子(いけだ・すみこ)

句集『空の庭』『いつしか人に生まれて』『ゆく船』『たましいの話』『現代俳句文庫29 池田澄子句集』。評論集『休むに似たり』。エッセー集『あさがや草紙』『シリーズ自句自解Ⅰ ベスト100 池田澄子』。

対談集『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む。 百句他解シリーズ1』。

所属、「豈」「船団」「面」。

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「作品 2011年5月13日号」の記事

  

3 Responses to “メモ 池田澄子”


  1. B
    on 5月 16th, 2011
    @

    こんにちわ。
    「メモ 池田澄子」へのコメントです。
    詩歌文藝サイト作品として堪能いたしました。
    ********

    「蝶ひらひら老婆ひやひや古びつつ」

    あの老婆、あの老女・・・実はこの老婆のことなのか。井之頭公園で三鬼の見た老婆は、永い船旅を経て今、阿佐ヶ谷あたりにいるのでしょうか。これは老婆都市伝説ですね。

     緑陰に三人の老婆わらへりき 西東三鬼
     あの家の中は老女や春げしき 三橋敏雄

    *********
    「蝶でも矢でも雀の鉄砲でも飛んで来い」

    いいですねー。白泉の句は、自他ともに踊れと言っていると思いますが、掲句は ”Come on !” という違いがありますね。(ちなみに『火門集』は阿部青鞋。”Come on !”)

    マンボでも何でも踊れ豊の秋 渡邊白泉

    *******
    ところで一句目のメモ。林さんの「ひらひら」とは。「諾」第三号(91・6)発表の「斜陽館までをひらひら」林桂 と見ていますが、きっとそうですね。
    http://homepage2.nifty.com/karakkaze/hayashikeiron.html


  2. 澄子
    on 5月 16th, 2011
    @

    わっ B様 お読みいただき有り難うございます。
    阿佐ヶ谷では、老女が更に日々古びいっているもようです。お通りになる折には、ご注意くださいませ。


  3. B
    on 6月 2nd, 2011
    @

    引用の訂正

    「蝶ひらひら老女ひやひや古びつつ」
    老女でした。老婆と記載したこと訂正いたします。
    お詫びいたします。
    「婆」はサンスクリット語から来ているのですね、今更ながら。

    「缶詰の魚の辛抱夏に入る」
    わかります、まさに。

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